航海記録


|オーストラリア ヨーク半島 2002年|

スタートは、ヨーク半島西岸の町、ウェイパ。
ここから、ニューギニアを目指して、日本人の相棒、関口潤治さんと航行しました。
かつて、日本の漁師が、トレスストリートまでやってきて、
真珠の養殖、素潜り漁とで生計を立てていた海域としても知られている場所です。
未熟ながらに、万全の気持ちで挑んだのですが......

ヨーク半島
艇はニンバス2人乗を使用。


外部リンク
2002年7月、関口氏と八幡氏によるヨーク半島西岸カヤッキング。
全く人工物が何も無い砂浜は見事。おそらく日本初公開の海岸線。


動画撮影:関口潤治・倉繁陽宏
Windows Media Player (11.2MB 7:12)


Great Seaman Project オーストラリア2002

今回の計画は、相棒の関口氏と2人で
ヨーク岬南西部にあるセイシアよりスタート。

撮影 八幡暁

トレス海峡を縦断した後
進路を北から西に向けてパプアニューギニアを抜けて
インドネシア パプア州 メラウケ入国
距離にして450キロ程の行程予定

来季に向けてのインドネシア長期ビザの申請と
アラフラ海、気候の状況を見てく るまでが目的

6月29日

ブリスベン入り。
オーストラリアは初冬で,朝晩は、吐く息が白い。
日中 長袖でも肌寒く感じる。
例年に比べて気温が大分 低いらしい。
4月から10月あたりまで続くドライシーズン
空気は乾燥している。
空には雲さえ見当たらない。
丸々1週間滞在して、初めて雲を見た。

日本から輸送したカヤック
引き取りに幾度となく街を往復し、苦戦する。
慣れない貨物引取りに加え、
英語のコミュニケーションが障害になった。
さらに手続き上、必要ない書類を求められる等
日本人に対する嫌がらせがある。
袖の下を使わなかったからかもしれない。

7月9日

予定 出発日より1日遅れてブリスベンを出発
カヤックをスタート地点に運ぶ為、
友人がドライバーとしてサポートしてくれた。

いすゞ ビッグホーン85年式
29万キロ走っている4WD
全長6メートル60センチのカヤックを乗せ
ケープヨーク付近を目指す。

出発前、集めた情報によれば
ケープヨークへの道のりは交通 量も少ない。
携帯の電波も届かない。
舗装されていない酷い悪路。
現地のガイドブックの写真には、
泥に捕まった車が写されていた。

ケアンズまで1800キロを1日半で走る。
ハイウェイは無料
道路の脇には轢かれたカンガルー多数
北に向かうにしたがってサトウキビ畑

この先ヨーク岬まで1000キロが雨季に走行が
極めて困難になると言われている道。
オーストラリアを鬼の顔に見立てれば
右の角(北東の突起)がその道のり。

結果は......
この年の乾季は乗用車でも通行可能
舗装ではないけれども、80キロくらいで走る。
4WDに乗ってきた家族連れにも何度か出会う。

延々 赤の大地
人間大のアリ塚が目立つ
枯れ木にわずかな緑
サバンナ気候。

撮影 八幡暁

途中の街には
必ずといっていいほど、スプリンクラーが廻っている。
オアシス。
庭には観葉植物。
水の豊富さを感じる。
アボリジニーの家からは音楽が流れ
季節の南東風がゆるく吹いてた。
そして人がいなければ、また、ひたすら赤い大地

途中、予定のスタート地を変更した。
SEISIAからヨーク半 島西岸
真ん中辺りに位置するWEIPAにする。
理由はいくつかある。

1 現地気候下での体を慣らすため
カヤックに30日分の食料と25リットルの水 を搭載

2 トレス海峡縦断が約270キロ
WEIPAからSEISIAが250キロほどで あること

3 ヨーク半島西岸はクロコダイルが多く生息している
来期以降の インドネシアでの良い経験になる

4 ヨーク半島西海岸沿いに魅力がある
アボリジナルリザーブとされていて
一般人があまり入っていない地域
原住民の生活を垣間見ることへ の期待

5 サポートの友人の岐路が1人であること
帰りの道のりの労を少しでも減らすため

WEIPAはヨーク半島の中では一番大きい街
人口約7500名
ボーキサイトの産地で 世界でも最も豊かな堆積量を誇るという。
その為、企業城下町になっているのだ。
白人が多く、家の並びも整然としていた。

物と金の動きが多い為か、
物価はこのヨーク岬に向かうルートの中で一番安かった。
といっても生鮮物に関しては、ケアンズの3倍。

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7月13日 1日目

4時間 27キロ航行 南東からのやや追い風

ウェイパでの出発準備を終え午前11時 出発した。

photo by kurashige akihiko

この街はアルバトロス湾岸にあり
河口にあたるため、海水は、緑に濁っている。
マングローブ地域特有の硫黄のような臭い無い。

スタートした直後、ラダーに強い衝撃
クロコダイルにドツカレタのではと相棒と笑う。

「湾を抜け岬を越えると海がうねるよ」
地元のおやじさんが教えてくれた。 
今日は、岬手前の長い浜辺でキャンプを張ることにする。
そこは亀の産卵場所らしく、
足跡と生臭さの残る卵の殻が散乱していた。
浜にごみが全く無い。
流木だけである。
無人の浜での焚火は気分が良い。

photo by Sekiguchi Jyunji

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7月14日

7 時間半 45キロ 東南東 から 昼過ぎには無風状態

南半球に来れば、太陽の位置も星の見え方も変わってくる
誰もが周知のこ とだが、目の当たりにすると多少混乱する。
あるべきものがない感じ。

南東、東よりの風は、安定して吹いている。
カヤッキングには、大きな影響もない。

岬付近に記念碑を発見。
道も無ければ、電線も無い人工物の無いこの浜
1601年にヨーロッパより流れ着いた船のデュフケン碑
その人工物は白く際立ってた。

途中、イルカの群に遭遇。
浜の様子は、湿地という感じは全く無い。
ひたすら乾ききったビーチ。
流れ着いているゴミは非常に少なかった。
葉の少ない木々が延々と続いている。

アボリジニーリザーブに入る。
ワニが多いだろうと予想していた河口にキャンプ。
河口付近の水の流れは、分断され、溜池のような箇所もある。
乾季なのだ。
アボリジニーは投網をかけていた。
彼らに水とシャワーを浴びさせてもらう。
この日、クロコダイルは見かけなかった。

南緯12度付近まで北上してきているが
まだ北極星を確認できない。

photo bu sekiguchi jyunji

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7月15日

8時間 50キロ弱 風 東南東  雲がやや多い

風は相変わらず安定していた。
事前の情報では、
この時期かなり風があり危険だろうとのことであった。
ここまでは静かな海。

ここまで全く人工物が無い。
ひたすら北北東にビーチが延び、霞んでいく。
乾季で水の流れ込みが少ないというのに
海水の透明度が良くなることは無かった。

海草が多いところでは、 小魚がは跳ねる。
鳥の群が空を埋め、鳴き、空から海面 へ垂直に落下する。
そして、 しっかり口に魚をく わえているのだ。
空からだけでない。
水中からも大型の魚が小魚を捕食していた。
小魚が群をなして逃げ動いている音がうるさい。
気をとられて、パドリングのリズムが狂う。

この透明度では、潜れない。
釣り道具を持っていないことが口惜しく感じられる。

人がいないと、海亀も油断するようだ。
海面に浮いている亀を見たこ とがあるが
大抵は、すぐ逃げてしまう。
1メートルまで近づいて尚、数十分に及んで観察できたのは初めてだった。

この日あたりから、遠浅の地形が増える。
潮の時間も都合が悪くなってきました。
遠浅が大きくなるにつれて、ハエや小さな虫の数が異常に増える。
休憩で上陸した際、わたし達の体に止まったまま離れない。
その後、何キロも共に航海することになる。

photo by satoru yahata

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7月16日

10時間 62キロ 東風 一時雨

南方に広がる大きな雨雲を目撃
朝は6時半から明るくなり始め、6時半には日が沈む。
当初、日中の日差し が強ければ、
朝早いうちと、夕方の3時間が漕ぐのにいいだろうと考えていた。
しかし、体温が上がるような気配も無い。
風も程よく吹いている。
一日の水の消費も予定より少なくてすんだ。

飯は腹いっぱい食べる。
味のレパートリーが少ないため、楽しみというより餌い
サースデイアイランドに着いたら釣具を買おうと思う。

満潮が朝と夜になる。
日中、沿岸は大分迂回しなくてはいけない。
干潮に向けて、海からまぼろしの大陸が現れる。
沖縄などで見たものとは規模が違う。
人間の気配は全くない。
この干潟で足を止めた人間は、
過去においても数えるくらいしかいないだろう。
オーストラリアペリカンがその陸で休んでいる。
蟹が砂を濾して、何かを食べていた。
生き物の為の数時間限りの陸なのだろう。

photo by satoru yahata

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7月17日

東南東  25キロ

この日は、潮の干潮が来る前にキャンプ地に上陸する。
もし、夕方に上陸ということになると干潮にあたる。
超大な干潟で、カヤックの荷上作業は骨が折れる。
無理をすることはない。
明日は、いよいよトレス海峡だ。

準備で試してみようと考えていたことは無事終わった。

サバンナ気候でのキャンプ
250キロの慣らし漕行
クロコダイル海域
夜間試航行
海峡横断60kmの試験航行
荷物 最搭載カヤックのパドリング

トレス海峡を渡りオーストラリアの出国手続きを上手く切り抜けよう
そしてインド ネシアの許可交渉をクリアしないといけない。
頭はもう次のことを考えていた。

飯も早めに食べることにする。
ここもハエや正体不明の痒い虫が五月蝿い。

さてカヤックの荷揚げだ。
昼頃上陸した後も、さらに潮が引いている。
干潟にうちあがられたカヤックは、陸から数百メートル。
満載の荷物を陸まで揚げるのに、何度も往復するのが億劫だ。

また潮があがってくるのを待ってカヤックを上げることにしよう。
この日は 多少、沖への風が吹いていた。
それでも、白波などは立っていない。
問題ないだろう。

今日、上陸したビーチは、 このヨーク半島西岸で唯一のキャンプ場。
ケープヨークに向かう本道から悪路の脇道を入る。
キャンプ場といっても、水、水道はおろか
設備というものは何もない。
ただのビーチだ。
一般人が西岸の海を垣間見られるのはここだけ。
半島西岸は、ほぼアボリジナルリザーブに指定されている為だ。

ダートの道を走ってきた4輪駆動車が8台ほど止まっている。
船外機をつけた小型のボート牽引してきた人もいるようだ。
勿論、アボリジニーの姿はない。

飯も食べ終わって、テントを張り 夕方6時半。
まだカヤックのところまで海水は満ちていない。
本来であれば、カヤックの荷物を出して浜を何度も往復する。
面倒でも省くことのできない作業。
遠浅の海域でこの荷揚げが辛いのはわかっていた。

しかし、このときは、まあ見ながらでも大丈夫というだろう。
波がゆっくり打ち上げてくれるさ。
見ていれば問題ない。
油断。
大量のハエから逃げるようにテント入り海を見ていた。
風が木を揺さぶる音がする。
午後から風が上がっているようだ。

6時55分、西日も落ちて空がオレンジ色に染まる。
海はカヤックまで満ちて押してきていた。
「丁度、満ちてきたな」
テントから確認。
テントに体を戻して、テントの中のものを整理する。
もう一度外を確認すまで5分程。

「カヤックが海に浮いてる!!」
テントから駆け出す。
膝下の水深の海が足にまとわりつく。
カヤックは既に、風で沖に流されつつあった。

大丈夫、追いつくぞ。
水深が膝から腰になる。
両手で水を掻き漕ぎ歩く。

夕闇が迫ってきていた。
カヤックはオレンジを背景にしたシルエットになる。

水は何時しか腰を超えて、ようやく背が立つところまできていた。
泳いだ。
まだ追いつける。
影は近づいてるように見える。
あと数十メートルだろう。

しばらく、われを忘れて泳ぐ。
カヤックに近づいているようだが、空はます ます暗さを増す。
カヤックとの距離感を失い始めた。
振り返れば、ビーチは既に暗い闇。
ランタンの光が2,3見えるだけだ。

既に体に乳酸がたまり、鈍くなっていた。
カヤックが風に流されるのと、自分の泳ぎが同じスピードなのではないか?
急速に不安が増す。
ここは、オーストラリアでも塩水ワニ、クロコダイルがいることでも有名。
ライフジャケットもつけていない知らない海…
沖だしの風。

このままでは、危険だ。
ボートを係留しているオーストラリア人がいるのを思い出す。
今度はビーチへ急いだ。
相棒の関口さんのヘッドランプが見えている。
「ボート ボート」
言葉通じた時には、僕の息は完全に上がっていた。
これでなんとかなる。
気が緩むと、膝から血が出ていたのに始めて気づいた。

オーストラリア人の反応は、冷めたものだった。
助けることは出来ない。
何も出来ることはない。
夜はクロコダイルが危なすぎる。
岩も出ていて危険だ
食事を食べながら諦めろと言う。
助けようという意思が全く返ってこない。
すがりつく僕ら2人。
「まだ、遠くではないんだ!1キロも離れてないんです」
英語の教材に出てくるようなお手上げのゼスチャーのオージー。
ひたすら頭を下げるしかできなかった。

後に一組のグループだけが話を聞いてくれる。
「明日朝、釣りに行く、そのときに一緒に探そう。夜は危険が多すぎる」
…わかりました…

今、自分達に出来ることを考える。
1日中風の方向を確認にすること

風を見ながら流れたカヤックをイメージする。
流れるスピード
方向
探す範囲

犯したミスの大きさと、後悔
必ず明日の朝 見つかると願う気持ち
自己責任という自責の任
大人の国の対応

冷静に考えようと努めるがうまくいかない。
焚火に木をくべる。
夜になると気温は20度をきっていたようだ。
しばらく木をくべては、また星をみるしかなかった。
2人は2時間交代で夜通し風を見ていた。

この日、常に南東の風が吹いていた。

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7月18日

翌日の朝は、もう一度ショックを受けることになる。
「もうカヤックは沖に流れているはずだ」
「約束が違うじゃないか」
「魚釣りは北西の方向ではなく、南西の岬に行 くことにしたんだ」
「………」
昨夜は興奮する僕らをなだめただけなのだろうか。

昨夜の風からして20キロから30キロ沖に漂っているはずのカヤック
こうしているうちにも、南西の風に流されている。
皆、僕らが近づいてくるのを避けていた。

「30分だけ船を出してくれませんか。貸してくれませんか?」
「私の船外機では無理だよ、外洋にはいけない」
「そこをなんとかお願いします」

「わたしたちできることは、何もない。
それに、ここは日本ではない
しっかり英語を話しなさい。
あそこにコースとガードの仕事をしている男がいる
話をしてみなさい」

そのコースとガードの男は、大きな無線を積んでいた。
誰かと交信していました。
昨夜からのことを話す。

「今、バマガの警察とコーストガードに連絡を取った。
彼らがここまで迎えに来る。
ほかに方法は何も無い」

奥さんが、心配してコーヒーを入れてくれた。
昼食にとパンとソーセージをいただきく。
警察が3時間ほどして現れた。
彼らは1時間ほどキャンパー達とお茶を飲みながら雑談していた。
僕らは、カヤックのことが気になり、
早く手続きを進めたいと苛立ちを感じていた。

夕方、バマガの警察で簡単な手続きを済ませる。
当初、スタートを予定していたセイシアに下ろされた。
何とかコーストガードの協力を得ようと試みたが、相手にされなかった。
既に、船をチャーターするにも明日まで動けない。
丸2日と1夜という時間の経過を考えると、
流されたカヤックを漁船で探せる範囲を超 えていた。

セイシアの前に広がるトレス海峡
わたしたちが 北上した200キロの間のどの区間より
クリアで青くエメラルドグリーンの海が広がっていた。
今日ほど、虚脱感を感じたことは無く 
どうにも立ち直れないような気持ちに始めてなったのだった。

カヤックが流れてから1週間
僕らは Umagikoというアボリジナルコミュニ ティーでキャンプする。
日本人とアボリジニーのハーフジャパニーズに出会い
(木曜島は過去において日本人が真珠の養殖を行っていたことで有名)
アボリジニーたちに毎日 挨拶の声をかけられ、励まされ
徐々に気持ちを取り戻していった。

photo by Sekiguchi Jyunji

7月25日

カヤックのどこにいたのか全く手がかりがないまま。
時間が過ぎるほどにカヤックは北西に流れて、
おそらくイリアン地域にカヤックが流れ着いていることだろう。
現地の人がGPSやウォーターメーカーを見て何に使うのだろうか。
この1週間を記録したフィルムだけでも発見されることを願いつつ
計画の建て直しを考えている。


八幡 暁

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