航海記録


|沖縄 宮古島‐久米島220kmの海峡横断 2005年|

沖縄の人の多くは、かつてスンダランドから移動してきた人であることがわかっています。
おそらく、黒潮に乗って海を越えてきたのでしょう。

それから何千年も経ち、沖縄の漁師達は、サバニを操り、海を読み、
高い漁の技術を持って世界の海を渡ったのです。

グレートシーマンプロジェクトのスタート地点でもあるオーストラリア。
ここにも沖縄や和歌山などから移住した人々の足跡が、色濃く残っているのです。
こうした高い技術を裏づけする海が、この沖縄にあるのかもしれません。

オーストラシアから日本まで、人力で移動した場合、
島と島の間の距離が一番長い場所が、この沖縄県の中にあります。
宮古島~久米島の間、距離にして220キロには、島がありません。
そして、夏は台風に曝され、冬は強い北東風に曝されるのです。

この海を、単独で渡る覚悟とは、どういうものなのでしょうか。

僕は、そうした事を知りたいと、準備をし、出発しました。

沖縄okinawa
小浜島-西表島-波照間島-新城島-石垣島-多良間島-宮古島-久米島-慶良間諸島-沖縄本島

外部リンク


Great Seaman Project 沖縄 2005

2005年 6月29日 朝6時20分
池間島のビーチから方角にして41度
北東へ向かって220km先にある久米島を目指し漕ぎ出した。
これはそのレポートである。

出発

- 220km -

さて宮古島から久米島まで、220kmとは、どんな距離だろうか?

宮古島 北緯24度55分28秒 東経125度15分21秒
久米島 北緯26度20分28秒 東経126度45分13秒
この間を直線で結べば218キロメートルになる。

これは、おおよそ東京から静岡は浜名湖までの距離。
これは、おおよそ大阪から広島の福山までの距離。
これは、おおよそ福岡から鹿児島までの距離。

日本最南端 与那国島から台湾までは、約110km。
九州 対馬から韓国 釜山までは約50km。
北海道 羅臼から国後島までは約30km。

オーストラリアから日本まで島伝いに移動すれば。。。
ニューギニア、インドネシア、マレーシア、フィリピン、台湾と5カ国通過することになる。
この海を渡り、国を渡り、島から島へ、最短距離を探して線で繋いだとき、
日本国内である宮古島久米島間220kmが、島間、海況横断 最長距離である。

シーカヤックのスピードは約平均時速6km。
1日の平移動距離は50km。
220kmを休まず漕げば、37時間程で到着する。

この海域では昔から海人達が自由に往来し、海と人々の営みがあった。
空を読み、海を読む。

今回は彼等と同様に、自然の中を生身の人間が人力で横断していく。
そして、この海世界を経験してくる、という試みである。

この横断をするにあたり、もう一つ経験しておきたいことがあった。
シーカヤックでどれくらいの距離を漕げるのか?漕げないのか?
トレーニングで沿岸を漕ぐのではなく、本当の島渡りでそれを確認すること。
あらゆる危険を考え、未知の世界に対処していく力。
これは、いつか自分が緊急事態に遭遇した時にも役に立つはずだ。
実践経験は、どんな練習にも勝る。

このシーカヤックの単独航海を無謀な冒険と言う人もいた。
果たしてこれは無謀な遠征だろうか。

この220kmを4つに分割して考えたら1区間55kmになる。
これは、一日の平均移動距離に近い。
途中、しっかりした休息をとりながら進めばどうだろう。
55kmを4回くり返す。
55km漕いでは長時間の休憩、55km漕いでは休憩していく。
漕ぎ続けるのではなく積極的に休んでいく方法。
簡単にはできないが、装備と天候さえ合わせればかなり安全にいけるのではないか。

陸が見えないことを不安に思う必要はない。
目的の島が移動することはないのだから。

航行中海流によって流されることはないだろうか。
仮に流されて予定のルートから外れたとして、
カヤックのスピードより速い海流があるわけではない。
流されながら目的地へ進もう。

シーカヤックの上では、寝られないどころか、休息すらできないのではないか。
それならカヤックの上で寝られる道具を探せばいい。
今回は、ビーチで使うエアベッドを携帯することにする。
発想は自由でいい。
事前に海に浮かべてテストも事前にしてみた。
問題なし。
天然のウォーターベット。
大海原に浮かべて寝てやろう。
さぞ気持ちよいはずだ。

『全く無謀な計画ではない、よし、やろう』
こうして、今年のグレートシーマンプロジェクト沖縄2005が始まった。

- 準備段階 -

まず安全確保について考えないといけない。
シーカヤックは動力も無線もない、危ない道具なだと考えている人がいる。
そうではない。
カヤックは造りがシンプルなため、故障が少ないし、
自分の漕ぐための力量を知っていれば、無理なく安全に航海できる道具である。

連絡手段に関しては、小さな衛星電話で対応できる時代でもある。

人が動力であっても、術を知っていれば安全に航行できることを証明したい。

これは遠征が成功しないと証明できないものではない。
仮に失敗しても、成功しても、生きて帰港できる準備を整えることが大事である。
シーカヤックの長距離移動が、無謀と背中合わせではないことを確認できればよい。

伴操船をつけるか否か、という問題。
動力船が横にいるのでは、手を差し伸べてくれる動く陸があるのと同じだと考える。
これでは人が、本当に海と対峙したことにならない。
鬼ごっこをしているのに、鬼にならないミソの状態。
何より海を知る漁師は、伴操船をつけて海に出かけるだろうか。
やむを得ない場合を除いては、伴走無し、として計画を進めよう。

島から島への長距離移動。
この難しさは陸から離れてしまうことにある。
エスケイプする場所が近くにないだけではない。
長時間、海しか見えない世界を、時速6キロで移動すること。
装備類、精神面、体力面、技術面あらゆる準備が必要だ。

ではどうやって最悪の事態に備えるか。
まず、僕とサポートチームで考えた方法はこうだ。

安全対策 安全を確保するため、今回は 衛星電話2機、GPS3機 携帯。
他、発炎筒、シーマーカー、鏡、フラッシュライト2機、
8時間発光するライト7本(サイリウム)、
遠征活動時 連絡可能なサポーター 3名待機

宮古島出発時から、3時間毎 衛星電話によるサポーターへの定期連絡。
(現在位置、海況、体調の変化の報告、気象状況の確認)
夜間は、暗闇での機器類の操作を少なくするため、
八幡が連絡できる時、緊急時のみ連絡するようにする。

連絡時間割 午前6時 9時 12時 15時 18時(ここより夜間航行)午前0時


宮古~久米島間 タイムスケジュール

1日目 午前6時出発予定  9時間のパドリング 55km
午後6時まで3時間休憩 パドリング再開
夜間12時間 漕行 110km
2日目 午前6時 3時間休憩 
午前9時 パドリング再開 6時間 漕行 135km
午後3時 3時間の休憩
午後6時 パドリング再開 夜間12時間 漕行 190km
3日目 午前6時 3時間休憩
午前9時 パドリング再開 漕行 220km
夕方 久米島到着  全行程 220km 

漕行予定時間 60時間

当初、海上保安庁から行政指導があった。
伴走船をつけて行って下さい、とのこと。
シーカヤックで外洋を漕ぐのは危険だ、と考えているようだ。が、そうではない。
シーカヤックという道具を説明し、何が危険で、何が危険でないのかを伝え、
伴操船をつけないで横断することの主旨や意味を話す。
沖縄の各保安庁へ足を運び、連絡を取り合い、話し合い、試行錯誤を重ねる。

安全対策は上述の定期連絡に加え、夜間も3時間おきに連絡を行い、
この報告はサポートチームだけでなく、
沖縄各海上保安庁の基地にメールで送信され、私の現在地を常に確認する、
という体制で行うことで最終的に落ち着いた。

さらには、宮古島、久米島、それぞれの島に足を運び、
この計画を理解し緊急時には船を出動してくれる現地のサポートをお願いし、
出発の日を待つことになる。

単独無伴走沖縄縦断の安全対策はこうして、
サポートチーム、 海上保安庁、八幡、3者の話し合いの末に出来上がった。

- 出発まで -

今年、沖縄の梅雨は記録的な大雨になった。
土砂崩れが起き、各地で浸水が起こり、波浪洪水警報がでる騒ぎ。
連日続く強い暴風雨は、赤土の大地を剥ぎ取り、海を赤く染めた。
海は大シケで、出発できるような状態ではない。
天気待ちは、当然。 ゆっくり待とう。

出発前、何をしているのか。
日中、激しい運動はしない。
自転車を漕ぎ、軽く柔軟体操とトレーニングする程度だ。
体は、少し太っているくらいが良い。
短距離レースなら別だろうと思うが、持久戦では脂肪が大切。
水に入っていても、脂肪がある時の方が暖かい。
いざというとき、エネルギータンクになる。

気持ちも普段と変わらず、のほほん、と解放しておく。
出発の気負いは、出発日が遅れる程にストレスになりがちだ。
焦りは、大敵。
判断を誤る一番の要因かもしれない。
いつも調整万全だぁ、と昼寝するような日々を過ごす。

例年より遅れて、6月27日に梅雨明け発表。
2日後6月29日には、太平洋高気圧が張り出し、
しばらく天気が安定する予報になる。 さてと。
装備を確認し、衛星電話を充電し、GPSの電池が入り、気持ちにもスイッチが入った。
「恐くない」と人に聞かれるが、同様に海は恐い。
しかし海を知らないことからくる恐怖ではない。
海の恐さを経験しているから感じる恐怖。
海では素人もベテランも簡単に死んでしまう。
予想外のことも起きるし、いつも待ったなし。
ただ、闇雲に怖がる必要はない。
安全に航海する方法は必ずある。
「きっと、半分過ぎたあたりから、勝負時だろうなぁ、楽しくはないよな」
わかっていながらも、行って見てやるぜ ムフフッ、とも思っていた。

- 出発日 -

6月29日
天気予報では、波2m、南風6m、
宮古沿岸部はやや波が高い、とのこと。
明日になれば、波がさらに落ち着いてくる。
波2mから1.5m、南風5m。 明後日は1.5mから1m、
南東の風4m。

今日出るべきか、明日出るべきか。
僕はいつも、考える。
だんだん天気が良くなっていく時が狙い目だと。
出発当初は気力も体力も残っているから、ある程度の海は乗り越えられる。
疲れが出てきた頃に、海が静かであってくれればいいのだ。
出発時の凪を待って出れば、その分次に天候が荒れてくるまでの猶予時間が短くなる。
天気には、周期がある。
はじめ楽で、後からきつくなることは避けたい。

おしっ、今日出発だ。

30リットルのスポーツドリンク。
主食は15,000kCal分のパワーバー、パワージェル。
好きな缶詰め。
飴玉。
お守り。
ジューシーおにぎり。
ポーク卵おにぎり。
サンピン茶。
ウェットスーツ。
シュノーケルセット。

安全を確保するための装備類も全部、カヤックに詰め込む。
重たいカヤックは、今までさんざん漕いできているから気にならない。
見送りに来てくれた仲間と軽口をたたきながら、準備をする。
「ほいじゃ、まぁ行ってきますね」

いつも通りの静かな出発。
前方には縦に伸びる夏の雲が、朝日に照らされていた。
風は南。
進行方向の斜後ろから押している。
体調は良いが、前日の少し短い睡眠時間が気になっていた。

スタートして20kmまでに、漁船3隻とすれ違う。
その後は人工物が全く無くなった。
波と海の世界。
海面には、外洋特有のうねりと白波が立っている。
時折、カヤックのデッキを波が洗う。
パドルを離せば沈(転覆)する可能性有り。
思ったより荒れていた。
昼だけなら何の問題もないが、夜まで続けば厄介そうだ。

始めての定期連絡。
「ちょっとなー、海がバタついてるからよ。あまりパドル離せないんだわ。
昼だから良いけど、夜だと難しいかも。
もしかしたら定期連絡できないからね。
でも遭難するような天気じゃないから、心配しなくていいよ。
連絡が1時間遅れても問題ないからさ、今ね、北緯~~~東経~~~風~~・・・」

午後3時くらいだろうか。
宮古 池間島 沖合い海上65キロメートル。
空の彼方に低空飛行している飛行機が、南から北に通り過ぎた。
数分後。
北から南へ同じ飛行機が飛んでいった。
何かの偵察だろうか?
数分後。
僕の真上を通過。
そして旋回。
周遊。
機体の側面にJapan Coast Guardと書いてある。
偵察機が来るとは聞いていない。
シーカヤック捜索のシュミレーションでもしているのだろうか?
ずっと単調な時間が過ぎ始めていたので、嬉しい。
ポーズ。

後で聞くところによると、海上保安庁那覇航空基地所属のファルコンジェット機が、
訓練中?ついで偵察に来てくれたらしい。
翌日、上空から撮影したカヤック写真をサポートチームに送ってくれた。
今、手元にファイルを開けば、 カヤックのスターンデッキに、ビーチエアベットを乗せた
奇妙な写真がハッキリ記録されている。

数周、僕の周りを回った後、飛行機は宮古島方向に去って行った。
すると、また海の白波が砕ける音だけになる。
水平線まで何もない。
残り160km。 こうした小さな船で、1人、海にいられる機会はそう多くないはずだ。
この時間を大切にしよう、そう思った。

夜にかけて、宮古~久米島間の難所を通るか否か。
漁師が言うには、宮古島沖合い100kmあたりに荒れる海域があるのだと。
あそこは、大型フェリーも揺れる、と。
海図を見れば、確かに荒れそうだ。
数百mの深場から、水深40mまで急激に浅くなっているのが分かる。
北に交わせば大回りになるが、この浅瀬を通らなくてよい。
まっすぐ行けば、最短距離。
昔から、急がば回れという。

よし、直進だ! おぃおぃ・・・


自分の調子が良いことを盾に一気に渡ってしまえと思った。
できるなら最短距離を進みたいという気持ちもあった。
大海原にある、荒れる海域を見てみたい気持ちもあった。
北に回って、海が静かという保証もない。
夜から、どうなるのかは、このときはまだ知らない。。。

- 1日目昼 -

75km航海 残り150km弱。
1日目夜 夜が広がり始めた20時。
海と夕闇、夜空のグラデーションは、何度見ても飽きない。

20時30分。 星空以外は漆黒の闇。
パドルに絡む夜光虫が発光し、青い光が尾を引く。
そして時折、砕けた白波が夜光虫と共に青白く光るだけだ。
闇夜が空を覆うと、穴が開くほどの星。
星を頼りに方角を決めて進むには、目標が多すぎる。
北東にある明るい星に目をつけ、星を線で結び、台形をイメージする。
その真ん中を通る。
知識としての白鳥座は、いらない。
星を道具として眺めると、また面白い。
星と星、宇宙と地球の関係を自分のルールで作り変える。

未だに風と白波は消えていない。
波がデッキを洗う。

向い潮になった。
浅場から深場に、潮が変わったようだ。
1隻、船の明かりが見える。
フェリーではない。
漁船だ。
この浅瀬は大物釣りのポイントだという。
深い海から浅い海へ、マグロが駆け上がってくるのが想像できる。
久米島から100kmを超えて、船をここまで出す人がいるというのを後から知った。

ここまで海況は良くないが、既に80kmは漕いでいるはずだ。
休みながらであるが、悪いペースではない。
15時間経過。 眠気はまだ襲ってこない。
順調。

浅瀬を漕行中、強い明かりが移動している。
音はしない。
光りに反射した黒い鉄の塊が海を滑っていく。
漁船ではない、大型タンカーだ。
タンカーはコースを急激に変えることはない。
しっかり、進んでいる方向を見ていれば大丈夫だろう。
暗闇にカヤックが浮かんでいるとは思ってもみないだろうなぁ。
大きなライトは、音もなく通り過ぎていった。

海面が暗く、手元が見づらい。
波に対するリカバリーが遅れがちになり、カヤックが振られ始める。
集中できているし、パドリングには問題ない、かのように思えた。
この時、体の偏重に気付く。
腹の底から胸にかけて、小さな違和感。 船酔いの前兆だ。

普段、夜の海を漕ぐ時、視界の中には動かない光がある。
街の明かり、灯台の光。
これで平衡感覚を保っていたのかもしれない。
今はその起点となるような光はなく、全てが揺れている。
静かな海であれば、空を見上げて漕げば良いが、今は、そういかない。

夜中の12時。
完全にグロッキーになっていた。
カヤックで初めての船酔い。
いつ食べ物を吐き出してもおかしくない状態である。
酸っぱいつばきが耳の根元からでてくる。
パドリングが乱れ始めた。

右手首の痛みに気付く。
どこでやられたか記憶にないが、クラゲにやられたようだ。
パドリでひっかけて、すくいあげ、手首に落ちてきたのかもしれない。
見れば、赤くミミズ腫れ、水膨れになっていた。

定期連絡は、なんとかこなしていたが、緯度経度は伝えられない。
GPSで調べようと下を見れば、吐き気がする。
波があるため、パドルを離したくない。
とりあえず、緊急事態に陥るようなことはない、とだけ伝えて連絡を切った。

胃液がのどまで昇り、口元で止まる。
唾液がとめどなくでてきた。
寒気もする。
パドリングジャケットを着た上に、さらにウィンドブレーカーを重ねる。
止まって作業していたら、吐き気の周期が頻繁になってきた。

あぁ~もうダメ。。。そして爆発。

食べたものはすべて外に出た。
水分、胃液も搾り出す。
目から酸っぱい涙がでる。
酷く体力を使った気がしたら、なんだか眠たくなってきた。
これは、休まないとまずい。

スターンのデッキに装着していたビーチエアマットを手元にとる。
本来、海の上でマット広げ、横になるつもりであった。
今、それをすれば、寒さで体力を消耗する。
波が体の上を通過するのだ。
ウェットスーツを装着する手間ももどかしい。

- 作戦B -

空気を少し抜いて、マット丸めた。
うねりの寄せてくる反対に、丸めたマットを浮かべる。
崩れた波が体にかからないようにするためだ。
それをバンジーコードでしばり、抱きかかえた。
丁度、大きなバームクーヘンを抱いているような形。
マットに巻いたバンジーコード(ゴム紐)をしっかり腕を絡める。
離せば、間違いなく転覆する。

気をつけよう、暗い夜道と暗い海。

暫くマットを掴まりながら漂流。
吐くものが無くなり、多少スッキリする。
海水で口をゆすぎ、目をつむる。
水分は補給するも、固形物を口に入れる気にはなれない。
まだ、気分が悪い。
こうなるとただ朝が待ち遠しかった。

1日目夜 30km航行 久米島まで残り120km

- 2日目昼 -

朝5時。
水平線が色付き始める。
濃紺 群青 水色 黄色 オレンジ 暁刻。

そして進行方向に朝日が昇ってきた。
波と風は夜半過ぎからおさまっている。
パドリングは楽になったが、船酔いと寝不足で一気にペースダウン。
昨日の18時から翌朝の6時までに30kmしか進んでいなかった。
吐き休憩が続いていたし、漕ぐ力も入らなかったから、いたしかたない。
あれだけヨレヨレでも進んでいるのだから、まぁ大丈夫だと気を取り戻す。

朝6時の定期連絡
「体調は良いけど、船酔いは治まらない、ただ、あと100kmなら問題ねぇ」
この時、定期連絡を受けていた担当者には、「問題ない」と言った、
僕の声のトーンが落ちて聞こえていたらしく、問題ありそうだ、と思ったらしい。
僕の方は、本当に問題ないと思っていた。
「船酔いで死ぬ人はいないから大丈夫、大丈夫、でも気分は右肩下がり」

出発して30時間を超えたあたりから、猛烈に眠たくなってきた。
漕いでいて瞬きすると、閉じた目が開かず、そのまま寝てしまう事がある。
時には、パドルを持つ腕がガクンとデッキにあたって目がさめる状態。
大声を出したり唇を噛んでみても、ほんの数分間、意識が戻るだけだ。
しまいには、あるわけもない人工物が見えたりもした。

白い防波堤が水平線に見える。
漁船が見えた。
人魚は!?そんなわけない。

漂流中の妄想や幻覚、精神錯乱の話は、よく聞く。
まさか、たかだか30時間寝ていないくらいで幻覚を見るものなのか?
別に精神的にまいっているわけではない。
意識ははっきりしている。
何もないことは分かっているが、確かにいま、白い壁があったよなぁ、といった感じ。
体力の落ち具合と寝不足、船酔いなどが重なっているからだろう。
眠くなったらその時すぐ寝ることにする。
積極的に休む。
そうでなければ、何かいざと言う時に動けなくなる可能性があると思った。

それからというもの、眠くなればエアベッドを引っぱり出してうたた寝。
10分くらいの時もあれば、1時間くらい寝ていたこともあった。
これが結構気持ちいいのだ。
目覚めれば確実に、体も意識もはっきりする。
気分も多少良くなっている。
ヨットの人はこんな感じなのだろうか、とカヤックに乗っていて初めて感じた。
外洋で寝られるというのはとても大事なことだ。
旅が終わるころ、改めて実感することになる。

この日の昼までの定期連絡には、食べると吐くから食べられない、
パワーがでないで胃が収縮している、と伝えていた。

その後、船酔いも大分回復して、パワーバーをゆっくり1枚食べる。
ここまでジェル状のものしか口に入れることができなかった。
完全に摂取カロリー不足であるのは分かっているが、手が進まない。
おまけに船も進まない。
腰にできた服擦れが酷くなり、みみず腫れが大きく盛り上がっている。
既に、体をねじったパドリングが、出来なくなっていた。

この日、日中50km進んで再び夜を迎える。
久米島まで残り70km。 まぁ、次の朝になれば久米島が見えているさ。

2日目昼 50km航行 久米島まで残り70km。

- 2日目夜 -

天気予報では、海が静かなはずだった。
ところが、21時を過ぎる頃から風が吹き出し、昨夜のようになる。
この風の音は、定期連絡を受けるサポーターにも強く聞こえていたという。

白波も出てきた。
そしてまた、船酔いが始まる。
胃のものをすべて吐き出した。
口を洗う海水の味と胃酸の味にうんざりしていた。
すっかりうなだれて便所に顔を突っ込んだ、へべれけ男と同じ状態だ。
「このまま少し眠ろう」
昨夜と違って、海上で寝ることには馴れていた。
体と気分は最悪だが、気持ちには余裕がある。
そして睡眠。
暫くして起きても今回はまだ気分が悪い。
疲れがたまってきているのだろうか。
再び睡眠。

この時、南風が吹いていたため眠っていても時速にして1kmで久米島に近付いていた。
昨夜21時から午前3時までの間、ほとんど漂う。

午前3時ともなると半月が夜空に昇って、海は明るくなっていた。
やっぱり夜の海は月がないとね。
月明かりが道になっている。
海面もよく見える。
ここでようやく息を吹き返した。

今回の出発は満月を狙っていたが、天候が悪く1週間ずれ込んで出発していた。
つまり、月は半分になってしまったのだ。
満月であれば、夜8時から光が海面を照らしていたはずだ。
海全体に月のスポットライト受けて漕いでいたことだろう。
残念だが、こればかりは仕様がない。

月明かりは、漕ぐのに良かったが、腰の服ズレは酷くなり、皮膚が向けて血が出ていた。
海水がしみて痛い。
船酔いも手伝って、今夜も気分は下々。

2日目夜 30km航行 久米島まで残り40km。

- 3日目 -

夜が明ける。
GPSは残り40kmを表示していた。
見通しが良ければ、容易に島を見つけられるはずだが、見えない。
雲が前方空全体にかかっている。
島の上に立ち上がる雲を確認することもできなかった。
「まぁ、絶対 島はあるのだから、気にすることはないさ」

もう、緊迫した感じはなかった。
水も大量に残っているし、寝ることにも馴れていた。
しばらく天気が安定しているのは間違いない。
仮にあと1日かかったとしても全く、問題はないのだ。

朝8時前方に島陰が見えてきた。
久米島は左右に大きな山があるため遠くから見ると2つの島に見える。
このまま進めば昼過ぎには到着できそうだ。

朝10時。
久米島沖にあるパヤオ(人工魚礁)を目指す、久米島の漁師と海上ですれ違う。
カヤックが見えたらしく、旋回してきた。
「どっから来たんだ?」 宮古からであると伝えると、 「何?!」
カヤックを知らない人間が、この小さな船を見たら信じがたいだろう。

あとで分かることだが、この漁師、
船舶無線で久米島に“カヤック発見”と連絡を入れていたそうだ。
久米島の方では私が島に向かっているのを知っているから、
「いよいよもうすこしだね、夕方頃には到着かな」と話していたという。

島が見えればやはり、励みになる。
目に見えて近付いてくるのが分かった。
到着もしていないのに、今回の夜は初の船酔い地獄だったな・・・などと振り返る。

残り10km 最後の定期連絡。
「もう、目の前だ。あと2時間くらいかかるだろうけどね。
防波堤が長過ぎて港の入り口がわからないな。
どこから入れるのかな。まぁ、もうどうやっても着くね。」
島付近は東への潮流が強かったがそれは事前に調査済み。
問題無し。
久米島を西から近付こうとすればリーフに阻まれて上陸できないはずだ。
南東から周り込んで入港すればいいさ。

海は静かで、空は快晴である。
まさに、到着日和。
湾内に入ると、海面が鏡のようになる。
足をカヤックの外に投げ出した。
足先に血が回る。
那覇から久米島を結ぶ定期船が出発した後の港。
人影が見えない。
午後2時の強い日ざし。
上陸したらガジュマルの木の下でゆっくり休もう。

小さなスロープの前でカヤックを陸に上げた。
56時間20分ぶりの陸だ。
足下がふらつく。
まっすぐ立とうとしても、左右によろけてしまった。
到着の連絡。
「服ズレして腰の皮がエグレてる。くらげにやられて、手首が痛い。
腹が減ってガス欠だけど後は、大丈夫。」

途中、かなり休息をとり寝ながら漕いでいたため眠気はあまりなかった。
「コーラ、コーラ、ジャンクな炭酸が飲みたい」
よれよれしながら、自動販売機を目指すのだった。

横断成功した達成感があるでしょ、と聞かれる。
「やった!」という感じではない、違う充足感。

自然と人が、もっと近い関係を保っていた時代や世界のこと。
人が大海原を越えていくこと。
漁をすること。
生きることが複雑ではなく、ゆっくり普通に過ぎていくものだと感じること。
海にいて、海人に会えて、生活できて良かったなぁ、と思う。

今回の遠征も、特別な事では無い。
太古から多くの人が行き来していたはずで、日常のひとコマ。
人は誰でも、海を渡る力を持っているのだろう。

その後、2日間、久米島に休息停滞する。
到着翌日には、がっちり筋肉痛になり、右肩に力が入らなかった。
島の方々の暖かい歓迎を受け、すっかりリラックスする。
次なる島、座間味へ出発するときには、見送りにも来てくれた。

風が強くなる予報がでていた為、座間味、那覇と連日漕いで無事到着。
そして、今回の遠征を協力してくれた方々へ挨拶回り。
那覇、宮古、石垣と漕いできた道を船に乗って戻っていく。
海は広いけど、繋がっているよなぁ。

 

- 最後に -

温帯、熱帯地域で長距離のシーカヤック移動で気をつけるべきことは何か。
天気が崩れれば、皆、海に飲み込まれてしまう。
まずは天候。
できるだけ安定した天気が予想できるときに出発する。
現在位置を確認できる道具なり知識と、何かしらの連絡手段を持つこと。
これで最低限の安全は確保できる。

もう一つ、休息方法。
どういうものでも良いが、カヤックを漕ぐ姿勢を変えて安心して休めるもの。
救命いかだのようなものが無いカヤックにとって、
休息用の道具は緊急事態で漕げなくなった場合にも関係してくる。

シュノーケル、水中眼鏡とウェットスーツ。
これは、体を冷やさないだけでなく浮力もある。
海中で頭をつけたまま呼吸をできることが大きい。
海に入る限り、どんな状況でも使える道具である。
カヤックに乗るのだから関係ないように思えるかもしれないが、
これらも、必ず持っていきたい。

最後に日本の島を渡るような遠征においては、海上保安庁と連絡をとることを勧めたい。
彼らは海のプロであり、強力なサポーターでもあり、
最悪の事態になっとき、最終的に頼りになるのは彼らである。
しっかりした準備と説明を行えば、とても協力的だ。

国ごとに海のルールも違うし、対応も違う。
ともかく、現地に住む人の規則を守り、迷惑がかからないようにしよう。
人と海と生命の関わりが多い沿岸海域を、自由に移動できる道具であるシーカヤック。
今回は、ひたすら漕ぐだけであったが、次回からは、またいつものように、
自分の食べる分の魚を捕りながら、ゆっくり海と人を見ていこう。
これからも面白い旅を続けていきたい。

 

最後になりますが、今回も多く方々の協力と助けによって、
はじめて遠征を進めることができました。
そして無事終了できたこと、大変感謝しております。
この場をお借りして、お礼申し上げます。

八幡暁