航海記録


|フィリピン北部から台湾 バシー海峡 2007年|

台湾本土の南300kmに位置する
フィリピン、ルソン島北端。
その間には、琉球弧にも繋がっていく
小さな島々が点在しています。

南シナ海、太平洋、黒潮が交差するバシー海峡。
深度5000mから、26mまで駆け上がる海底に、
大海の海流が交錯する難所です。

かつて海の民は、この海域を往来していました。
この島々には、今でも台湾や中国に
縁のある人々が暮らしています。

過去から続く人の交わりを、
人力移動しながら改めて繋げていくことが目的です。
現在、シーカヤックを使って、
この海域を横断した記録はなく、初の試みです。


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Great Seaman Project フィリピン~台湾 2007

これは、2007年5月に行ったフィリピン~台湾遠征のレポートである。

はじめに

フィリピンから海を渡って、台湾に入ろう。
これは、昨年、台湾の花蓮~与那国島を横断した時点で決めていたことだった。

オーストラリアから日本へかけてカヤックで自由に旅した場合
4つの難所を越えなければいけない。

 1 ニューギニア島南岸の大湿地帯横断
2 最長距離(宮古ー久米島 220km)を含む八重山-那覇横断
3 台湾-与那国島 黒潮横断 
4 バシー海峡を含むフィリピン-台湾縦断

3つは、すでにクリアした。
残るは、フィリピンから台湾までの海域にある最後の課題。
バシー海峡、バリンタン海峡、バブヤン海峡の横断である。

大型の船が揺さぶられるこの海域。
人力で横断する為に、なにが必要なのだろうか。
どんな準備とトレーニングをすればいいのか。
誰も答えを知らない。
自分で考え、イメージすることが大切だ。

フィリピンと台湾の間には、いくつか島が点在している。
荒れる海峡に住む人々は、どんな暮らしをしているのだろうか。
大昔に台湾から移り住んだ人々も住んでいるという。
連なる海の民の道。
楽しみは沢山ありそうだ。

僕は、半年前からわくわくしていた。
人力では、難しいと言われていた海峡に、挑めること。
自分なりのルートを探しだす楽しみ。
頭で考え、体を動かし、あとは実践してみるだけである。
さぁ、早く来い、と思っていた。

フィリピンと台湾を繋ぐ海とは?

海を知っている人間が、バシー海峡の話をすれば、皆、同じことを言う。
「ここは荒れる」
西に南シナ海、東に太平洋が広がっている。
この東西の海をつなげているエリアが、今回の舞台だ。

5000メートルもの深度をもつ広大な海が、わずか400㎞の海峡で交差する。
さらにこの海峡は、浅い。
干潮と満潮の差で、膨大な量の海水が、東へ西へ移動する。
浅く、狭い海峡に、深海からやってくる海流が集中する場所では
流れが早くなり、波が大きくなるのは、世界共通である。

今回の難しさを作り出している理由がもう一つある。
フィリピン ルソン島の東側を、南から北へ時速3-7kmで海が流れている。
黒潮源流だ。
大きな2つの海が生み出す潮流に、絶えず巨大海流がぶつかってる。
ひとたび風が吹けば、すぐに海面は真っ白になるらしい。
北風が吹けば、東西南北のパワーが激しくぶつかりあい、恐ろしい海になるという。
三角波が炸裂するだろう、この状況だけは、必ず避けること。
エンジンをつけた大型船が航行困難になるような状況を、人力では漕ぎたくない。

シーカヤックにとっては、有難い情報は少ない。
恐ろしい話ばかりが、耳に残る。

まず始めに現れるバブヤン海峡。
島から島の間は、40km。
ここでは、黒潮の影響は少ないだろう。
距離はたいしたことないが、気をつけるのは潮流だ。
おそらく上げ潮と下げ潮で、流れが逆になる。
これは、現地で情報を集めれば解決できるだろう。
漕いでいて知りたいのは、どれくらいの速度で流れるのか、ということ。
詳細は、行ってみないとわからない。
周りには、他の島が点在している。
背後に見える筈のルソン島は、常にエスケープの的になる。
縦断に失敗しても、一度、大陸に戻れる海で、死ぬ可能性は低い。

続いてバリンタン海峡。
フィリピンの人々が恐れている荒れる海である。
距離にして100km。
バシー海峡が難しいのは、多くの人に知られているが、
僕は、バシー海峡より難しいかもしれないと考えていた。

何故か。
1 黒潮の影響を受け始める位置が、どのあたりなのか、それがまったくわからない。
2 東西の流れはバブヤン海峡より強いだろう。これもどこまで流れているかわからない。
3 出発したら、戻れない。最後まで行くしかない。

こういう海は、難しい。
天候の読み間違いは、最悪だ。
どんなことがあっても漕げなくなるような事態は、なんとしても避けないといけない。
バリンタン海峡を漕ぎわたれれば、バシー海峡の予測がしやすくなる。
今回の遠征の鍵を握るのは、この海峡だろうと思っていた。

最後に待ち構えるバシー海峡。
距離にして130km。
黒潮が、潮流にまともに当たる海峡だ。
うねり、波、風、すべてが今までの経験してきた海を越えているだろう。
やはり複雑な流れが、どこまで続いているのかわからない。
難しさを増幅させているのは、「わからない」事が多い為である。
北風の出発は100%避けること、それだけはわかっていた。

おそらく、太古の人々は、普通に往来していたと思うのだが、
シーカヤックで渡った記録がない。
人力で海を渡る力は、悲しいほど小さい。
海のパワーには、必ず負ける。
どこまで人が海と向き合い、耐えられるか、これが今回のテーマになりそうだ。

出発地 パグドプッド

フィリピンは、ルソン島北部に美しいビーチがあるという話を聞いた。
フィリピンに詳しい海洋コミュニケーションズの佐藤さんが言うのだから間違いないだろう。
写真でみせてもらった。
白砂のビーチが何kmにも伸びている。
ココヤシが立ち並び、太陽を避ける小屋が、いくつも建っているという。
「とても美しい場所なのに、日本人はほとんど来ません」
その話を聞いて、今回のスタート地点を、ここに決めたのだ。

 

現地、パグドプッドに移動してから
フィリピン観光省の協力を得て、地元の情報を聞いて回る。
漁師の声、地元サーファーの情報。
途中のビーチや街並みが素晴らしい。
マイライラ、というルソン島北面のビーチは、最高の海岸線だと思った。
白い砂に昔ながらの集落が並んでいる。
道路は舗装されていないが、綺麗に掃除されていた。

観光客が少ない場所には、美しい自然が残っているのだなぁ。
数日後に渡るバブヤン海峡を眺め、青い海と積乱雲。
いよいよ来たな、と嬉しくなった。

出発の朝。
緊張して、眠れないことはなかった。
十分、睡眠をとって目覚める。
朝の6時から分割したカヤックを組み立てた。
今回は、ウォーターフィールドカヤックスのマリオンを
飛行機で運べるよう、特別に3分割で作ってもらったのである。
過去の難所は、このマリオンで渡ってきた。
重量は増すが、激しい海での動きを知っているカヤックが一番だ。

はじめてカヤックを見た地元の人々は、驚いているようだ。
こんな船で、海峡を渡れるのか、と。
水は?食料は?トイレは?
素朴な質問を問いかけてきた。

装備類の確認作業を、順番にこなしていく。
出国手続きを終え、いよいよ出発。
今年は、沢山の人に協力頂いて見送られる。
恥ずかしいので、早く出発した。

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バブヤン海峡

漁師の話では、上げ潮では西へ、下げ潮で東に海が動いているという。
この話に間違いはなさそうだ。
現在地は、目的の島より西に位置している。
海は西に流れてい筈だ。
とすれば、沿岸沿いに東へ移動し、最短距離を北に上がればいい。
カヤッキングで難しい事はないだろう。

海峡横断中、西へ流れるのを抑えながら、進路を北東に向けて進む。
すると地元の漁師が近寄ってきた。
「”%(“&38R=”3R」
何か言っているが、わからない。
どうやら危ないから引き返せと言っているようにみえる。
「Fuga Is に行くんだ。大丈夫だから」
日本の漁師も、カヤックを見て心配で声をかけにくる。
海の男は、少し怖いが、自然の怖さをしっているだけに優しいのだ。

暑さと太陽の強さが酷い。
日本の南国、石垣島より、高い気温と強い日差し。
少し頭がくらくらする。
出来る限り、体を濡らし、水を飲む。
体ごと海に飛び込み、頭から全身を冷やす。
クールダウン。
体を伸ばし、捻る、脱力する。
これが気持ちいい。
同じ姿勢を続けるカヤック乗りには、最高のストレッチになる。

慎重に進路をとる。
潮流の速さと、変化、確かな情報がない場合、
目的地とスタート地点の最短距離を結んだラインをまずは狙ってみる。
逃げ道は、いくつか考えていた。
何時間で流れを抜けられるか?
島の反流をつかめるか?
戻るには、どのラインまでなら可能か?
答えの出し方は、いろいろだが、自分なりの解決方法を持つことが重要だ。

バブヤン海峡横断は、無難に渡った。
北への流れはなく、西への流れと東への流れを経験する。
ここまでは予想したとおりだった。

よく長い時間、一人で海を漕いでいて何を考えているのですか。
と聞かれることがある。
「歌をうたってますよ、昔の事や、未来のことを考えたり」
笑って答えているが、実は海のことを考えている時間が長いように思う。
風や波、雲を見たり、微妙な変化を見逃したらどうなるか。
危険に足を踏み入れてから、気にしたのでは手遅れになることが多い。
常に、変化を見て、自分の進むべきルートをイメージしている。

生命力に溢れた島

フガ島から11時間かけて、カラヤン島の南岸に到着する。
途中、秒速8m以上風が吹き、一時、海は真っ白になっていた。
大きなうねりが入ってないので問題はないが
少し風が吹けば、すぐに荒れてしまう海なのだと実感する。
予定より、時間がかかってしまった。

到着すると、島の人が、集まってくる。
ここは、カラヤン島の小さな集落、ダダオ。
地図には載っていない。

子供の数が多いな、と思った。
子供が子供をおんぶしている。
母親は、もっとも小さい子供を見ていた。

皆、じっとこちらを見ている。
エンジンがない船で、ルソン島から渡ってきたことが信じられないようだ。
僕と視線が合えば、はにかんで親の後ろに隠れてしまう子供達ばかり。
笑い声が耐えない。

集落の牧師さんの家に通された。
アーノルド、という優しい男である。

海側からは、家が見当たらない。
防風林が海側に立ち並び、一見、どこに住んでいるのか?と思う。
一部、林が削られている場所が入り口のようだ。
人が1人通れるくらいの踏み後を中に入っていく。
5メートルも進むと、テニスコート4面くらい開けた空間に出た。

防風林を抜けると、そこはジャングルが綺麗に開拓されいた。
入り口には、漁の網が干してあり、庭があり、テーブルがある。
その奥に高床式の家が2棟並んでいた。
サッシなどはないが、2つ窓がついている。
一棟は、台所件寝室。
もう一棟は、キリストの絵が飾られていた。
電気は来ていない。
燃料は、流木だ。

水牛2頭
豚が3頭。
鶏、多数。
ココヤシ、多数。果実無数。
バナナの木、多数。
マンゴーの木、巨大。
果実たわわ。
干し魚、多数。
猫、数匹。
犬、数匹。
子供達、7名ほど。

すぐに食べ物が豊富なのが見て取れた。

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アーノルド宅

アーノルドの家の横には、塩を作る小屋があった。
海水の入った大鍋がかまどにかけられている。
大木が無造作に突っ込まれ煙をあげていた。
その上に、囲炉裏の煙を利用する燻製棚がある。
小屋の2メートルほどの天井は、真っ黒にすすけている。
20匹ほどの魚の燻製が短冊状につるされていた。
保存食になるのだろう。

手作りのテーブル。
素足でも歩きやすい道。
土がひんやりして気持ちよい。
庭には、ところどころ大きな木が残してある。
天然のひさしなのだ。
足元を見れば、ゴミはおろか、木の葉すら落ちていないことに気付く。
毎日、掃除しているのだろうか?
ゴミといっても天然素材の物ばかり。
食べ物の残りは、一緒に暮らしている動物が処理をする。

「腹はすいてないか?フライドバナナ食べるか?」
風と波の中を漕いでいたこともあり、疲れている。
「お腹は、すいてます」
数分後に、アツアツ揚げたてのバナナを頂いた。
バナナと油がよくあっている。
体のパワーを回復させていくような気がした。
まだ青いバナナを揚げているのだと思う。
芋のような食感にほのかな甘さが残っていた。
とても美味しい。

空腹もひと段落して、ひとまず庭にテントを張らせてもらう。
地面には、雑草が程よくはえていた。
寝心地は、悪くなさそうだ。
申し分ないキャンプサイトである。
フライシート(雨を夜テントのカバー)のグリーンが、ジャングルの色を同化していた。
アライテントのカヤライズは、メッシュで出来ている為、熱帯で使用するには最高だ。

奥には、10m以上の立派なココヤシが、沢山、実をつけていた。
さらに、その背後は、断崖絶壁の崖。

「ココナッツは好きか?」「好きです」
アーノルドは、ニコニコ笑いながら、木を登る。
年齢は40歳くらいだと思う。
細身の体がしなやかに動き、体を上へ上へ上げていった。
軽い身のこなしは、小さい頃から続けている動き、ならではなのだろう。
無駄がない。
僕が登れば、体が木にへばりつき、腰がひけ、
腕の力だけを無駄に使い、何も出来ないだろうと思う。

3つほど、椰子の実を落とし、飲みやすいように処理してくれた。
少し青臭く、ほのかに甘いココヤシのジュース。
汗をかいて、現地で飲んでみて欲しい。
これほど素晴らしい天然飲料はない。
1リットルもの、ジュースをあっという間に飲んでしまった。
その後、実を割り、ゼリー状の果肉を食べる。

水分と栄養を補給する、熱帯の魔法の果実は現地で食べるべし。

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人が生きる場所

背後の絶壁の溝を天然水が流れている。
沸かして飲む必要はなく、皆、直接飲んでいた。
少し茶色だったが、僕も生水を飲んだ。
石垣島の水より美味しかった。

水があるということは、とても重要だ。
いつでも体を洗うことも出来る。
暑い気候の為、一日に何度も水浴びをする。
清潔を保てるし、健康や病気にもなりにくい。
食物を育てられる。
飲料にも困らない。

インドネシアのパプア州を航海していた時のことを思い出す。
延々と真水がなかった。
川の水は、河口から何百メートル遡っても海水が混じっている。
雨が頼りだ。
体を洗うのは、海だった。
連日、海を漕いでいると、潮まみれの体と服が擦れて、皮膚が破ける。
擦れた皮膚には、大量のハエがたかっていた。
湿地帯の微生物にやられたのか、泥が着いた足の毛穴が膿んでしまう。
脛が全体に熱を持ち、腫れて歩くと痛かった。
自分には、とてもきつい環境に思えた。
それでも人は、その地に適応して住んでいるのだと、驚いていたこと。
人間は素晴らしい。

衣食住が充たされていて、自分の手と足で全てを調達できること。
親が、子供を育てる為に、食料をとってくる姿。
子供達が、大人と一緒に生きようとしている様子。
それぞれが、出来ることに一生懸命だ。
人間が生きる様を眺めていた。

物が大量にあり、便利な物も大量にあり、娯楽もあり、
ジャングルよりはるかに安全が確保されている自分の街。
一見、何も不自由がないのに、不自由さを感じてしまうのはどうしてか、と思ったりする。

あまりにも、素晴らしい集落なので、1日停滞することにした。

生きる為の海

翌日、海を潜ってみる。
水温は、30度くらいあるだろうか。
2時間浸かっていても、寒気がこない。
海は少し濁りある。
魚は、日本の沿岸に比べて少ない。
毎日、集落の人々が魚を獲っているからかもしれない。
それでも、集落が食べるには十分の魚が生きている。

魚種は、ベラからブダイ、ハギ系の魚。
どれも揚げてしまえば、食べれるのだけど、日本ではあまり食べる習慣がない。
生で食べる習慣は、この島にはなかった。(他の島にはあった)

地元の人は、プラスチックの板に穴をあけ、自分で足ヒレを作っている。
浜に打ちあがった、ポリタンクを切り出したのだろうか。
始めてみる足ヒレだ。
しならないヒレで器用に潜る。

深く潜る必要がないから、激しい潜水はしない。
銛、これも自作の水中銃型。
部品だけを街で購入して、自分で作っているのがよくわかる。
生きる道具は、これで十分なのだ。

沖へ出れば、潮の流れもあり起伏もある。
最新船や魚群探知機など使っている人はいないので、間違いなく魚は多いのだろう。
が、それらを追う必要はないのだ。

人が生きる為に、魚を獲るくらいなら、大きな仕掛けや大きな船はいらないのである。

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バブヤン島を目指す

早朝、5時30分、アーノルドに見送られる。

風は、南から吹いているが、午後には西風になる筈だ。
そして、このあたりからは、黒潮の影響がでてくるだろう。
北東60km沖合いにあるバブヤン島の集落を目指す。
バブヤン島は、人口こそ少ないが、台湾から移り住んだ人々が生活しているという。
島は大きく、断崖が多く、上陸できる場所は限られている。
50kmは離れているが、島ははっきり見えているのが嬉しい。

直線で結べば、45度、ほぼ北東を向いて漕げばよいが
北への流れを考慮して、カヤックの進行方向は、真東に向けた。

スタートして、海面が不規則に荒れている。
深海から急上昇している海底に流れがぶつかり、島に流れがぶつかり、
複雑な波を作り出しているのだ。
高さは、1mくらいだろうか。
頭から波をかぶるようなものでなく、カヤックのデッキの上を海が洗う程度である。
前後左右に船が、揺れるが問題ない。
パドリングのリズムもそれほど崩れない。
力む必要もない。
この程度の海は、日本の島々を回れば、各地で経験できる。
まだ、ここは大きな海のぶつかりあいではないのだろう。

しばらくして、複雑な3角波エリアは抜ける。
海は、北へ3キロメートル程で流れていた。
流れが変わらなければ、何もしなくとも10時間で30km北へ流れることになる。
カラヤン島の出発地から、バブヤン島の目的地の緯度の差が、30㎞程だ。
東へ50km(約8時間)も漕げば、バブヤン島に近辺につくのだから、
理想的なコースを狙える流れである。

5時間を経過して、残り30km。
良いペースだ。

これから、潮流が動き出せば、必ず西への流れが加わる筈だ。
進行方向とは逆の流れである。
この流れをどう読むかが難しい。
今までのように西へ3kmくらいの流れならば、なんとかなるが、どうだろうか。

黒潮本流の流れが、もしカラヤン島とバブヤン島の間を抜けているとする。
おそらく時速6km以上で北西に流れるだろう。
これは、昨年、黒潮本流を横切った経験と、バブヤン海峡を渡った経験から予想出きる。
とすれば、東に向けて、漕いでいるだけではバブヤン島には到達出来ない。
もっと南を向けないといけないことになる。
それは、長期戦になることを意味していた。
20時間を越える横断になる。
おそらく目の前に迫っている島へ時速2km以下でしか近づけない。
島に灯台はなく、上陸する陸にも明かりはないだろう。

我慢のパドリングを続けた末、北への流れがさらに強くなったとすれば
反流を探すことになる。
島に到達できない場合、バブヤン島から80km北にある、サブタン島を目指すことになる。
最悪は、12時間漕いで、さらに12時間以上漕ぐことになるのだ、と考えていた。

今日の横断は、3日間は、漕ぎ続けられる準備をして出発した。
水、食料、ライト、全ては身の回りにある。
GPSも衛星電話も手元にあった。
単独行では、ちょっとした事前の準備が命に関わってくるのだ。

次第に、北西への流れが強くなってきた。
少しづつ、イメージしていたルートから
北に外れてきているのがわかった。

予想通り、西風が吹けば、マイナスの流れは帳消しになるだろうと思っていた。
が、まだ西風は吹いて来ない。

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スピード落ちる

東に進路を向けて漕いで、時速3kmにまでスピードが落ちていた。
1時間に一度、GPSで、海流と進行速度をチェックしているから、
この1時間の間に流れが変わったことになる。
この島の間、中間地点で黒潮の流れと潮流が強くなったことを示してた。

流れに逆らいながら、残り30km、10時間以上かけて、バブヤン島を目指すか?
予定を変更して、難関のバリンタン海峡を一気に越えていくか?
今の地点からバリンタン海峡を越えるには、100kmの距離がある。
どちらにしても到着時間は、暗くなってからになるだろう。

バブヤン島を狙うのは、丁度、昨年の与那国島を台湾から狙った状況に似ていた。
北への流れを抑えながら、東へ移動する。
北に流れすぎたら、島にはたどり着けない。
低速の航行、我慢の連続パドリングになる。
仮に北に流されても、100km先に、島々があるという安心感はあった。
エスケープルートがあるのは、ありがたい。

一気にバリンタン海峡越えるルートは、未知の大波を越えていくことになる。
今の時点で、変更すれば体力も残っている。
途中、休むことも出来る。
が、北の流れを考えると狙った限りは、戻れない。
到着するまでは、途中棄権という選択肢はなくなる。

もし島をはずせば、どうすればいいのだろう。
東西には島がないため、フィリピン北部の島をなんとしてでも捉えるしかない。
大海に流されれば、日本か台湾を狙うしかないだろう。

迷う。

僕は、バリンタン海峡越えを選択した。
何故か。
我慢を続けてバブヤン島を捉えられなかった場合、
疲れた体で80km以上漕ぐのは、精神的にもしんどいだろうと思った。
そして、今からバリンタン海峡を越えたとなれば、航行距離が130kmになる。
丁度、バシー海峡横断と同じ距離だ。
バリンタン海峡を、この状況でクリアできれば、バシーの成功が見えてくる。
大海がぶつかる海を、体で覚えてしまおう。

事務局に連絡。
「コース変更する。今日、バリンタンを越えるから!あと100kmはあるから、翌朝まで連絡しないよ」

昼のうちに、夜は連絡不可能と伝える。
波をかぶるような海で、夜間の連絡は難しい。
不足の事態が起きて、自ら緊急の連絡が出来ない状況であれば、
どのみち、生存の確率は極めて低い。
であれば、現在位置を逐一伝えたところで、あまり意味がないと思っていたし
電話をしている時間に流される距離が、命取りになることがあるのだ。
そういうことも、経験している。

漕ぎに集中しよう。
必ず漕ぎきるぞ、とスイッチが入る。

普段は100kmの横断と聞けば、大変だな、と思うのに
スイッチが入ったときは、気にならないのが不思議だ。
これは自分にもよくわからない。
ともかく集中力と気合が入るのだけは間違いない。
少し困難だろうと思えるチャレンジをするとき、体と脳はどうなっているのだろうか。

昔の海の民は、特別なトレーニングをして航海していたか。
それはないと思う。
普通に、海で漁をして暮らしていただろうし、航海していたと想像する。
僕は、特殊な人間が海を渡るものではない、という考えを持っている。
誰でも海を学べば、航海が出来る筈だ、と。
親から子へ、そしてまた子へと連続していく技術の一つ程度のことだろう。

僕は、普通の人間だ。
フィジカル、メンタルともに特別なものはない。
毎日、海へ行くが、ストイックに練習を重ねることもしていない。
それでも、世界の海を渡れる、と思っている。

自分がどういう形で、何時間、海と向き合えるかを理解し、
それを素に、海を判断することが大事だ。
自分と海の関係をしっかり把握する。
人より強いとか、早いとか、漕げる、そんな基準は、全く必要ない。

進路を東南東から、北へ向ける。
時速12km。
北北西に走り始めた。

台湾から移り住んだ人々が暮らしているバブヤン島。
それを見られないことが、残念に思えた。
正面に見ていたバブヤン島を、今度は右手に見ている。
そして、あっという間に右斜め後方へと消えていった。

バリンタン海峡横断

進路を北に向けてから、順調な航行を続けていた。
午後に入り、西風が強くなる。
それに伴い波も、強くなっていた。
後から、そして左手から、水を被る。
火照った体には気持ちよい。

前方に見える大型タンカーは、横腹を見せている。
この船に、ぶつかる心配はない。
気がかりなのは、うねりと波が大きい分、遠くのタンカーの発見が遅れることだ。
接近してから、気付いたのでは遅い。
いつも以上に、周囲に気をくばらないといけないかった。

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途中、シイラが1匹だけ青い背中を光らせながら黒潮の中を走っていった。
周りを見たが群れではない。
鳥が飛んでいるわけでもない。
魚は、何を感じて泳いでいるのか、と思う。
この旅、サメにも亀にもイルカにもあってない。
それだけに、シイラの泳ぎが美しく見え、生き物が確かに居ることが心強く思えた。

3時間後、またタンカーが見える。
今度は、自分のやや後方を横切った。
前回見たタンカーの航路と同じような気がする。
その後、もう一隻、はるか後方にタンカーを見た。
どうも、西へ向かうタンカーは、バリンタン海峡の南よりの航路をとっているようだ。

空に雲が広がっている。
今日は、月が出ない。
もし星が出なければ、はじめての闇夜の外洋である。
今まで避けてきた状況。
選択肢はない。
今夜、暗闇で漕ぐ、と覚悟する。

星がなければ、ライトをつければいいのでは、という人がいる。
ライトをつければ、手元だけは明るくなるが、周りがまったく見えなくなる。
うねりがブレイクした海で、波の動きがみえないのは危険だ。

夕刻、流れは北西から北に、そして西風が強くなり、北東に流れるようになっていた。
進路は、北北西に向けている。

午後6時で、残り35km。
平均時速10kmで漕いできた事になる。
ここまでは、イメージどおりに来ていた。
暗くなるころには、肉眼で島をとらえられるだろう。

島に近づいて、航行スピードは、時速7kmになっていた。
黒潮の本流は外れたのかもしれない。
20時までに島の明かりが見えれば、しめたものだ。

タンカーが南から北へ登っていく。
右舷がみえている。
良かった、今回もあたらずにすむ。
あれは、中国、もしくは台湾へ行く船だろうか。

あたりが暗くなり、手元のコンパスすら見えなくなった。
北の空は、雲に覆われている。
一番星が、後方に出ていた。
とりあえず微妙な雲の濃淡で方向を決める。
後の星で、ときどき向きを確認した。

波が、黒い壁となって目の前を通過する。
うねりが崩れれば、暗闇に白い残泡。
それを突き進むカヤックを見て、俺は進んでいるぞ、と鼓舞する。
黒い壁を見すぎてはいけない。
宮古島~久米島へ渡ったときの教訓は、今年も生きている。
崩れる波を、恐れる必要はない。
波に対して、体は自然に動くようになっている。
今は早いピッチで、パドルを振り回す必要はない。
確実なパドリングこそが重要だ。

夜の9時を回る頃、前方にわずかな光が見えた。
街の明かりだ。
うねりによって、見え隠れしているものの、間違いない。

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ライトをつけて、GPSを確認する。
残り16km。
はっと気付く。
雲の下に見える黒い塊。
雲だと思っていたのは、島だった。
これこそがサブタン島だ。
遠くに見えているのは、バタン島の街の明かりなのだろう。
地図と本物の島のイメージがずれていた。
御褒美をもらったような気分。

この時点で16時間、漕いでいたことになる。
肉体的には、まったく問題なかった。
かなり調子が良い。
あと3時間もかからないだろう。

島の東岸に入れば、風が止まった。
ライトで岸を照らしてみる。
波が、岩礁にくだけ、上陸できる場所がない。
もう少し先に行こう。
安心してるので、ゆっくり漕ぐ。
濡れた体に寒さがやってきた。
もう23時を回っている。
体が冷え切る前に、上陸したい。

リーフが砕けるような音が聞こえる。
ライトを照らしてみると、腰程度の波。
陸をライトで照らすと、砂利の浜が奥にあるように見える。
黒い波にタイミングをあわせて、リーフの中に入った。
肩まで波をかぶり、ずぶ濡れだ。
「おし、上陸できるぞ」
重いカヤックを引き上げる。

着替える前に、あまった水で、体を洗う。
このまま寝れば、服擦れした場所が必ず悪化してしまうからだ。
寒い、寒い。
乾いた服を急いで着る。
いっきに体が温まっていく。

今度は、腹が減ってきた。
火をおこしていられない。
カラヤン島でもらったパイナップルを食べよう。
果汁を頭に思い浮かべたら、唾が大量に出てきた。
包丁をだして、パインを切る。
中の芯まで食べたい。
丸々1つ食べられそうな気がする。
切った先から、頬張る。
甘い汁が、鼻に抜けていくようだ。
半分食べ終えた時点で、空腹は収まった。

事務局に連絡しないと、心配している筈だ。
「サブタン島に到着した。問題ないけど眠いからすぐ寝る。
明日は一日停滞するよ、また明日連絡する」
簡単な報告の後、テントを張ってすぐ眠りに落ちた。

サブタン島

昨日は19時間のパドリングだった。
130kmの距離を漕いだわりには、疲れが少ない。
黒潮が押していたからだろう。
波が大きいところがあったが、常に高い状態が続くわけではない。
さらには、海は全体的に北へ北へ動いている。
漂流しても北へ向かっていく。
バリンタン海峡を終えて、バシー海峡への見通しがついた。
イメージどおりの横断に、手ごたえを感じる。
あとは天候だ。
今回、耳にあたる風が、ぼぉーと音を立て、白波が海面を覆っていた。
おそらく西風が7m以上吹いていただろう。
これ以上の風は避けたい。

村人が、次第に集まってきた。
好奇心が強い者が、話しかけてくる。
泉谷しげるのような風貌の男である。
どこから来たのか?何物か?どこにいくのか?
一通りの話をすると、その男は、村人に事態を伝える。
文化の接触、とはこういう形で行われていたのだろうな、と思う。

この集落は、ストーンハウスという昔ながらの家に住んでいる人が多い。
石を積み上げた家である。
骨組みは、入ってないように見えた。
外壁をセメントで固めているが、昔はどうしていたのだろうか。
屋根は、茅葺のようだ。
窓がいくつかついているが、中は暗いだろう。
風も通らない、クーラーはないのでさぞ暑いだろうと思う。
しかし、これは台風対策なのかもしれない。
ここは、台風ベルトの上である。

集落の小道は、人が丁度、すれ違って歩けるくらいの幅になっていた。
大昔に作られた道は、車が通ることを、想定していない。
子供達が、道で寝転がって遊んでいた。

砂浜には、小さなエンジン付きの船が上がっていた。
船を引き上げる為のワイヤーがある。
ウィンチがあるのかな。
ワイヤーをたどってみると、人力で巻き取るようになっていた。
4メートル程の横棒の中心に縦軸があり、
それを、人がぐるぐる回して、ワイヤーを巻き上げるのである。
ワイヤーがなかった頃は、ロープ作りなどもしていた筈だ。
昔ながらのシステムに感動する。
便利であること、とは何だろうかと考えさせられる。

バリンタン海峡を越え、サブタン島に入った途端に、物が増えた。
バタネス諸島の中心、バタン島には飛行機が飛んでいからだろう。
バタン諸島の南にある、ここサブタン島も、観光客が来るのだ。
観光案内の仕事も多く見られる。
日本と置き換えてみれば、
東京から日本の最西端与那国島に来ているような感じなのだろうか。

昔ながらの生活を続けていた、バブヤン諸島の人々が思い浮かばれれた。
海峡をひとつ越えただけで、あまりにも違う世界だ。
文化の恩恵を情報として知っていながら、電気がない生活の地に生きている海民。
これに満足しているか、不満があっても抜け出せないのかはわからないが、
食料が豊富にあり、水があり、子供も育つ、もっともシンプルな生き方だ、と思った。

街はどこを目指しているのか、僻地はどこを目指しているのか、
人の生活が全てを優先する便利さと快適さの世界、
地球自転中心の自然との完全調和の世界。
街と僻地、どちらが幸せか?そんな答えのない問いを考えながらバタン島へ向かった。

バシー海峡へ 出発前日

気圧配置を見る。
前線は台湾の北へ上がっていった。
すぐに南下してくることはないだろう。
等高線が、フィリピンと台湾の間にかかっている。
おそらく、今までの天候と同じような状況。
西風が予想される。

前線が日本の本州まで上がるのを待つか、この機会に出発をするか。
それぞれのメリットとデメリットがある。

前者。
メリットは、じっくり確実な安定した天気を選べること。
デメリットは、長期戦になった上で、出発出来ないことがあること。

後者。
メリットは、心身ともに充実していてる時に出られること。
デメリットは、海に風が吹きつけること。

体の調子は万全だった。
6月3日に出発してから、1週間がたち
漕いだ距離は300キロメートル程。
フィリピンの気候と海に体はしっかり馴染んでいた。
疲れは残っていない。

バシー海峡の目安になると考えていたバリンタン海峡。
ここは、全てイメージどおりに進んだといってよい。
この海域の、うねりと海流を経験した。
やや強い西風の中の海も、見ることが出来た。
出発の判断が、一番重要で、全てと言ってよい。

今回、迷いはなかった。
自信も溢れていた。
明日、出発しよう。

フィリピン最北の島 Yami Island

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朝5時30分、バタン島の人々に送られて出発した。
皆、本当にバシー海峡を渡れるのだろうかと半信半疑である。
本気で、心配してくれる人がいる。
本人の心の中には、全く不安はなくなっている。
この時は、本当に力がみなぎっている感じがしていた。
興奮と万能感。
今、考えれば、そういうときが一番危ないのだと思う。

島を出て、集落から離れれば、すぐ周囲は断崖に囲まれている。
陸から沿岸に降りることは出来ないのは勿論、海から上陸も出来ない。
逃げ場はない。
いよいよだな、と思う。

バタン島から北には、5つの島が点在している。
一番近くの、大きなイトバヤット島は、沿岸全て絶壁。
カヤックでは上陸不可能だ。
残りの4つのうち、2つだけ上陸可能という情報。
しかし、ビーチが広がっているわけでなさそうだ。
現地に行って見るしかない。
もし、上陸できなければ、海に潜ってアンカーリングし、錨泊することになるだろう。

上陸地点があると情報のあった島に接近する。
確かに隆起珊瑚の岩岸の上にビーチがあった。
しかし、上陸するには、覚悟が必要だ。
西から吹き付ける風に波が砕けている。
うまく波をかわして岸につけても、地面は隆起珊瑚。
必ず引きずる必要がでてくる。
船には、水と食料、他、生活道具が満載していた。
最悪、波をもらったら、船体にダメージを受けてしまう。
しばらく様子をみていたが、良い状況にはなりにくい。
他のポイントを探そう。

東は風裏になっているので、こちらに小さくても上陸できる場所があればいいのだが。
東から北に回るも、上陸ポイントは見当たらない。
もう一つの島、最北のヤミ島へ行こう。
もし、見つからなかった諦めるしかない。

どの島も同じような風貌。
木が低い。
風あたりが強いのだろう。
平坦な場所が少なく、土もほとんどないように見える。
水もない。
無人島だけあって、人が住みにくい場所だ。

ヤミ島を東から北へまわる。
状況は、あまり変わらなかった。
波打ち際は、珊瑚の岩盤。
波をうまくかわし、次の波が来るまでに、安全地帯まで引きずるしかないのか。
確実な方法はないだろうか。

考える。

カヤックだと降りる動作とカヤックを引きずるまでの動作の間に時間がかかりすぎる。
絶え間なくやってくる波を、受けてしまう可能性もあるのだ。

少し遠くで、カヤックから海に飛び込む。
バウにつけたロープを持って、先に人だけ上陸する。
波を見ながら、カヤック本体を引っ張る。
波が過ぎた後、一気に安全地帯までカヤックを引き上げる。

この方法が、ベストだろう。
暖かい海ならではの方法だ。

透明度の高い海に飛び込む。
気持ちいい。
水温は28度といったところだろう。
青ブダイが急いで逃げていくのが見える。

波に打ち付けられないように上陸。
一気に上まであがる。
まずは一安心。
のんびりしていたら、人間も危険なのだ。
珊瑚の地面で転がされれば、どうなるのか、わかっている。
体中、傷だらけだ。
ヘタすれば、深く切れる。
バシー海峡横断どころではない。

小さな波をやり過ごし、ブレイクポイントから一気にカヤック引き込む。
ガリガリガリガリガリガリ。
船体が、嫌な音をたてている。
カヤックが重い。
60kgはあるだろう。
船が波に乗って、落ちたら大変なことになる。
全体重を使って、引き上げる。
足元がわるい。
誤って、手を付いただけでも、手が切れてしまう。
隆起珊瑚の岩肌とはそういうものだ。

なんとか成功。

今日は、バタン島からヤミ島まで、70㎞、11時間漕いだことになる。
体の疲れは、さほどない。
風が強かったのが気がかりだ。
かといって、水の補給が出来ない島での長居は、よっぽどの天候悪化以外できない。
明日の朝には、出発だ。

梅雨明け間近の前線は、台湾の北に居る。

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いよいよバシー海峡横断

出発

4時30分。あたりは、まだ暗い。
昨夜は、あまり眠れなかった。
いつも出発前日は、眠れない。
いろいろな事が頭に浮かんでくる。
その対応などを考えていると、脈拍が上がってきたりする。
これは、恐怖から来るものでない。
期待と未知とのものに遭遇する興奮である。
自分はどうのように翻弄され、切り抜けられるのだろうか。

風裏になっているようで、キャンプサイトは静かだ。
波の音だけが、激しく聞こえる。
昨日の夕方の上陸を考えると、海に出るのは、またひと苦労なこと。
船を壊さないよう、細心の注意が必要である。

船と装備の点検を終えると、カヤックを下ろす。
嫌な音を立てているが、ここは致し方ない。
波が迫るぎりぎりのところまで来て、僕が先に海へ飛び込む。
バウラインを手にとり、波でカヤックが浮いたところを手繰り寄せた。
船はすんなり降りて来る。
成功。
再上艇したのち、ひとつひとつ装備類の点検をした。
大丈夫、出発だ。
ここから北へ130km先にある台湾を目指す。

序盤、順調。

島の風裏を出れば、ここは既にバシー海峡だった。
数㎞も漕がないうちに、波は頭を越えていた。
西からの大きなうねりに南からのうねりがぶつかっているのだろう。
ぶつかってくるうねりの方向が、一定ではない。
カヤックは、簡単に振られ、波上で横滑りを繰り返す。
時に、上から波が落ちてくる。
船体を波の方にあずけ、転覆を防ぐ。
漕ぐ力を、前漕ぎだけに使えない。
カヤックをコントロールする技量と波を抑えるパワーが試されていた。
しかし、長期戦を考えて、出来るだけ筋力を使わず、受け流すように漕ぐ。

スタートして、4時間。
順調だ。
時速10kmで航行していた。
黒潮が助けている。
強い前漕ぎをしなくとも、海流に乗っているのだ。
波も、翻弄される程ではない。
バリンタン海峡で、経験したものと変わりはない。

昨年はしんどかったけど、今年は漕がないでも進むぞ。
鼻歌交じり。
歌も冴える。

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シュミレーション

昼を回る頃から、予想外に、太平洋への流れが強くなる。
これは、強い西風の影響もあったかと思われる。
海は北へは流れず、東へ時速3kmで流れていた。
今までフィリピンから渡ってきた経験を基にすれば、今は西よりの流れの筈。
それが、今は逆の方向、東に流れている。
どうしてだ。

予想外のことは、よく起こる。
それを理解していることが、経験だと思う。

何から考えないといけないのか。
まずは、大海に持っていかれないように耐えてなくてはいけない。
耐えられなければ、即、漂流だ。
太平洋へ流れるのを抑えるため、進行方向を西北西に向けた。
時速2~3㎞で西北西に進んでいる。
残り70km。
単純計算で、35時間漕ぎ続ければ、到着する。

海が、西に流れている筈の時間帯に東へ海が流れている。
ならば、本来、東に流れる筈の時間帯に突入すれば、さらに高速で東へ流れるというのか。
35時間で、確実にパドリングできれば問題ないが、こういう場合、最悪の事態を考える。

これは、焦りや不安、迷いではない。
冷静に考えている。
途中まで、流れに耐えながら進み、力尽きたらどうするか。
流れと風に逆らいながら漕ぐのは、体力を消耗する。
消耗してから、対策を考えたのでは遅い。

これから5時間のうちで、流れが変わらない、もしくは強くなるとする。
そうなれば、与那国島を目指そう。
時速6㎞の航行を想定。
距離は350kmくらいだろう。
時間は70時間とした。
東へ流れるのを受け入れつつ、進路は北に向け漕ぐ。
流れに逆らわない。
おそらく、北東へ進むだろう。
220km漕いだ時の経験から、350kmの航行は可能だ。
その場合の、休憩のとり方、食料、水分補給の方法などどうするのか。
腕を動かし、波を乗り越えながら頭でシュミレーションしていた。

長時間の航行で、同じ姿勢でいることが一番のストレスになるものだ。
下半身への血流が悪くなり、慢性的に足が痺れるようになってしまう。
海で、体を伸ばせる状況であれば、出来るだけ海に入ろう。
そして、服の擦れと手のマメに対する注意も必要だ。
肩への負担も大きくなることを考えて漕ぐ。

長期戦になるぞ。

脱出

波頭が崩れ、波をかぶることが多くなっていた。
頭の上に白波が接近してきて、構えると、次の瞬間、水の中に居る。
波のパワーをまともに受け止めないよう、波に体をあずけ耐える。
浮上。
また漕ぎ始める。

フォワードストローク(前漕ぎ)を連続して行う航海とは違う筋肉を使っている。
予想外に航行時間がかかった場合の為に力を残しておくこと。
実力以上のことを必要とする事態は、いつでも起こりうる。
海で全力を出してはいけない。

夕刻前、東への流れは北東に変わっていた。
心配していた最悪の選択は免れる。
自分の進路を北西にとれば、ほぼ北へ向かって時速7kmで流れるようになった。
これなら、台湾を目指せる。
順調にいけば、陽が登る前に到着出来るだろう。

空には、沢山の入道雲が覆っていた。
嫌な予感がする。
夜間は、星が出てくれるだろうか。
月無し、星無しの中でのナビゲーションの経験がない。
積乱雲の下にでも入れば、最悪だ。
真っ暗闇に雨と風が吹きつける。
嵐が抜けるまで、耐えなければいけない。
パドリングジャケットを用意した。

今まで、7隻の大型タンカーをやり過ごしていた。
漁船は、みていない。
タンカーや漁船の往来をかなり気にかけていたが、今のところニアミスはない。
しかし、大波の中では、タンカーの発見が遅れがちになる。
続けて、注意しなくてはいけない。
船の船首を確認し、どちらに進んでいるのか確認すること。
集中力が切れないよう、自分に言い聞かせた。

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スコール

夜間航行に突入。
20時には、手元のコンパスが見えなくなっていた。
月がない、星がない。
雲が大きく空に広がっているのだ。
バリンタン海峡横断の時も、雲が多かったが、
後を向けば、星を見ることが出来た。
つまり、昼で言う山立て、という航行方法を使うことが出来ていたのだが、
今回は、それが出来ない。
目の前には、黒い壁が生き物のように立ちふさがっては消えていった。
崩れた白波だけが、ぼんやり見える。
他に見えるものはないのか。
何か視覚がとらえるものが欲しい。
広がっている雲が、積乱雲ということもあり、微妙な濃淡がみてとれる。
暗闇でも手がかりは残っていた。
運が良い。

雲の移動する速度をイメージし、方向を修正しながら漕いだ。
黒い波は見ないこと。
パドルを空振りしないように、確実なパドリングを続ける。
突然、波が崩れても、体は対応できるようになっていた。
ロデオが続く。

島は見えないが、漁船の光が数隻見えてきた。
何をとっているだろうか。
近寄って、話を聞いてみたいが、驚かせてしまうだろう。
残念だが、やり過ごす。

水平線に光る停船している漁船を星に見立てる。
遠くに動く漁船は人工衛星。
まだ島の光は見えてこないが、もうそれ程遠くない筈だ。
漁船は、タンカーと違う。
一直線に進んでいるわけでなく、細かく方向を変える。
より注意が必要だ。

台湾の南東に浮かぶ島の光が見え始める。
見える光が、数秒毎に見え隠れしていた。
灯台である。
ここで気持ちを緩めるわけにはいかないが、楽になった。
昨年のような、状況でないことも嬉しい。

後方から、黒い雲が覆い始めたのに気付く。
空は、普段、夜でも黒ではないが、今は真っ黒だった。
背後にあるはずの漁船の光が一切なくなっている。
ぽつぽつと雨が帽子に当たっているかと思っていたら、みるみるうち嵐のようになった。
スコールだ。
夜、猛烈な雨にあたったのはじめてのこと。
うねりと風でだいたいの方向はわかるが、確認が必要だ。
集中力が切れれば、見当違いの方向に進んでいることに気付かないこともある。
風、大雨の中、ライトをつけてコンパスに光をあてる。
あたりは土砂降り。
ライトの光が雨を貫いている。
とても綺麗だ。
方向を一度確認し、改めてうねりと風で方向をとらえる。
間違いない。
視界がなく、暗闇。
カヤックを叩く雨の音が大きく聞こえる。
目をつむって漕いでも、同じだ。
昔、目を閉じて漕ぐ練習をしていたことを思い出す。
海の動きと同調していくような感覚。
周りには、誰もいない。
地球上の海では、こうして誰もいないところで雨が降っているのだろう。
その雨が海流で世界と繋がっていたりすることを思うと不思議だ。

2時間も降り続き、雨があがる。
すでに出発して20時間が過ぎていた。

到着

スコールが過ぎ去ると、台湾の灯台の光が前に迫っているのに気付く。
思ったより、ゴールは近い。
方向も間違っていなかったし、海の流れも問題ない。
雨雲は、全て去った。
もう漁船にぶるかることもなさそうだ。
気付けば、うねりも大分小さくなっていた。
いつごろから波が小さくなったかは、記憶にない。
到着まで、あと数時間かかるだろうが、もう大丈夫。
今回の旅で、世話になった人の顔が思い浮んだ。

出発して24時間、台湾の南に浮かぶ蘭嶼の風裏に入った。
はじめて、風と波がやんだ。
平和だ。
緊張がとけた。
島ってなんて有難いのだろうか。
本当に安心した。
するとパドルを握る手の平が、酷く痛んだ。
力んでいないつもりでも、力が入っていたのだろう。
脇の下、腰周りは、いつものように擦れて皮膚が剥けている。
まだ酷くなっていなくて良かった。

明け方、事務局に連絡する。
「バシー渡りきった。風が西から強い。東の港には、入らない。西側で上陸ポイントを探す」
簡潔な報告。
とりあえず、これで心配しないだろう。

コースタルカヤッキングは快適だ。
明け方、濃紺の時間に、台湾 蘭嶼島の岩山がはっきり見えている。
街の明かりも見える。
充実した気持ちは、厳しい海を越えたからか。
はじめてのことが多かったからか。
よくわからないが、良い気分だった。
越えてみて、感じたことがある。
天候を間違わなければ、世界の海は人力で渡れる、という確信。
昔の人も、きっと荒波の後の平和な島影に、心も癒されただろう。

今回は、バリンタン海峡をイメージどおりに越えたこともあって、
ある程度の強風を越えられるとして出発した。
結果的に、厳しい海の強風を経験出来たことは、とても良かった。
が、この出発の判断は間違っていたと思う。
はじめての海では、慎重さをもっと持つべきだった。
仮に東への流れが、もう少し強くなっていたら
太平洋の大海原を漕がなくてはいけなかった。

上陸する頃には、日が上がり初めていた。
手を見れば、今までに見たことのないマメ、マメ。
全ての間接にマメが出来ていた。
その数21個。
バシー海峡を渡るまでに、硬いマメが出来ていたのに
その上に、さらにマメが出来ている。
バシーの思い出は、マメだと思った。

航行時間25時間の海峡横断となった。
これは、過去の遠征より短い時間であったが
筋肉の疲労具合は、一番だったかと思う。
まだまだ限界は感じないが、波立つ海峡は楽じゃない。

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蘭嶼 そして 花蓮へ 

おそらく蘭嶼は、台湾で一番、透明度の高い海だろう。
常に黒潮にさらされている。
日本でいえば、トカラ列島のような感じだ。
島の海男と話す。
「昨日は台風のような風が吹いていたから心配していたよ」
確かに今日も風が強い。
海は真っ白だ。
昨日は、もっと風が強かったという。
自分でも驚く。
一日、早く渡っていたら、かなり苦戦しただろう。
海の天候を甘くみてはいけない。
改めて思う。

前線は、北上しているものの大気はとても不安定だ。
風はしばらく強い予報。
気圧の谷に入っていた。

ここ蘭嶼で、1日完全休養をとる。
2日後には、風の中を出発。
大きな台湾本土を左に見ならが、航行する。
50㎞も離れていたが、やはり安心感がある。

島を渡り、沿岸を漕ぎ、途中、猛烈な雷にあいながら、目的地、花連に到着した。
6月3日に出発して、16日目のことだった。

 

最後に

ここ数年、熱帯地域で活動しているが、今年は良い成果が得られたチャレンジだったと思う。

昨年の改善点もクリアできた。
航行中、航海する側と、連絡を受ける側の共通の理解も得られた。
厳しい海に住む人が、島々や海をへて、文化が交じり合っていくのも感じることが出来た。
大袈裟な仕掛けなど使わず、シンプルに海で生きるグレートシーマン達にも会えた。
情報の少ない海、大きな海のぶつかり、また新たな海の経験も得ることが出来た。
シーカヤックで世界の海を渡るイメージが出来るようになったことが、嬉しい。

人力で世界は繋がるのがわかった事。
これは大きい。
普通の人でも、カヤックの技術、判断力、精神面のレベルをあげれば、海を越えられる。
この船は自分というエンジンが止まるまで沈まない。
となりの島に住む人に会ってくるよ、といったふうに、自由に海を旅できれば良いと思った。

反省すべきことは、さらに謙虚に海と対峙すること。
自分の力を試してみたい気持ち、信じる力が強すぎると
レベル以上の海に出てしまうことがある。
どんな練習を重ねても、いつかは本番の海を経験しなければ意味がないと思う反面、
最終的に、自然のエネルギーには勝てないのはわかっている。
100%の力を出せば、いけるだろう、というような状況では
必ず撤退する気持ちを持たなくてはいけない、と改めて思った。

今回の遠征も、感謝の旅になりました。
台湾では、昨年に引き続き、沢山の人にお世話になりました。
フィリピンでも同じく沢山の人にお世話になりました。
いつか、どういう形ではわからないですが、人の役にたてたら、と思うのです。
応援してくださった皆様、本当、ありがとうございました。
この場をかりて、お礼申し上げます。

海が人を引き合わせてくれる。
きっと昔の人も、そうして旅をしていたのだと思います。
益々、遊びたいと思います。

フィリピン観光局、台湾カヤック協会の皆様には、現地にて特別な配慮を頂きました。
この場を借りて、お礼申し上げます。ありがとうございました。

8月13日  八幡暁

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