航海記録


|ニュージーランド ベイオブアイランズ 2010年|

舞台は、ニュージーランド ベイオブアイランド。
この国のパドルスポーツを行う人が、「美しいフィールド」と口をそろえて言う場所です。
ここで、アメリカのエクストリームカヤッカー「ツナミレンジャース」と
コラボレーションしてきました。

【活動概要】 遠征遂行者:藤井巌/八幡暁

活動地域 :ベイオブアイランド(ニュージーランド)
活動期間 :2010年2月



 


Great Seaman Project ベイオブアイランズ

3月、石垣島の気温は28度を越えていた。半袖、短パンでも汗が滲んでくる。空気はたっぷりと水分を含んでいた。亜熱帯地方ならではの湿度が気持ち良い。
冬の東京、夏のニュージーランドに滞在していた2ヶ月の間、乾燥肌が酷かった。今は、そのヒビ割れが消えている。窓を全開にして南風をいれた。我が家には、扉、壁というものがほとんど無い。沖縄の古い家は、全ての部屋が襖、もしくは障子で仕切られているだけだ。光と風が家を通り抜ける仕組みになっている。快適だ。家の中に吊るしてあるハンモックに揺られながら、パソコンを開く。メールボックスにはツナミレンジャースからの便りが届いていた。そこには、一緒に過ごしたキャンプの思い出がつづられ、近いうちに日本、それも石垣島へ行きたい、という事も書かれていた。彼らも無事、サンフランシスコに着いたのだ。既に懐かしく思えるニュージーランドの旅。ほんの数週間前まで、八重山諸島から直線距離で8500キロメートル、赤道を越え、まだ向こうの国で僕らは一緒に過ごした。そして、僕は何事にも変えがたいような経験をした。

Extreme Sea Kayaking with Tsunami Rangers???
暴れる海と戯れる者達

1984年、サンフランシスコ郊外でEric Soares(以後、エリック)Jim Kakuk(以後、ジム)の2人によって作られたアドベンチャーカヤックチームが、ツナミレンジャースである。彼らの信条はこうだ。

その1 私達は、シーカヤックの冒険を生き甲斐にしています
その2 私達は、海の環境の楽しみ方を、経験を通じて伝えます
その3 私達は、冒険を通して、想像を豊かにし、感動を得て、新しい知恵を伝えます

そのまま、自分が教えられているような気になる。素晴らしい!私も仲間になりたい、という人が居ても、彼らのチームに誰でも入れるというわけではない。精神的な繋がりを大事にした12人前後の人だけで活動している。これだけみると賢者の集まりのような気もする。が、ヤバイ海に出る人達、というのが僕の認識だった。彼らのDVDを見てしまったからだ。

映像には、見たことのない光景が記録されていた。カヤックがツナミに飲み込まれるような様子。5メートルの長さのカヤックが、あんなに小さく見えるのかぁ。半ばため息。全身プロテクターを身にまとい、カヤックに乗った男が、岩の上を転がる様。波に飛ばされたカヤックが空中で重力を失ったように止まっている。一転して落下。何百キロもの浮力のあるカヤックが、波の中に消える光景。岩礁に炸裂した波が、空中に10メートルも飛び散る。その真下にいるカヤッカーは、どこか爆撃、銃撃戦を走り抜ける兵士を思い起こさせた。カヤックが海岸線にある洞窟へ突入する。暗く狭い空間には、出口からの光が差し込んでいた。水中はエメラルドグリーンに透けている。神秘的な光景。瞬間、波が押し寄せて海面が持ち上がる。窟内の空間がなくなった。本当の水攻め。当然、カヤックが浮いている空間すらなくなり…。彼らと出会う前、僕は宣言していた。「僕はきっと付いていけない、撮影に回るよ」

2010年2月、僕は、ニュージーランドにはじめて降り立った。国際空港にも関わらず、人がまばらで、お店も少ない。ここは、人口400万人の国なのだと実感する。思っていたより暑い。半袖で十分だ。南氷洋へ海が開き、水温が20度を上回る事がないと聞いていたから、ニュージーランドは夏でも寒い、という思い込みがあった。実際、緯度は日本と同じような場所にあるのだから、似ていると考えれば良かったのかもしれない。空港で、この国の地図を眺める。国土のサイズも日本と似ているし、南北に長い事も似ている。南部にはフィヨルドがあり、人のアクセスを拒んでいるようだ。北は気温も温い。日本で言えば鹿児島と同じ緯度になる。この国、変化があって面白いかもしれないと改めて思った。

ニュージーランドに魅せられ、この国の素晴らしさを伝えたいと移住した男がいる。現地で旅のコーディネーターしているリアルニュージーランドの藤井巌さんである。今回のツナミレンジャースとの旅を企画してくれたのは彼だった。与那国島から西表島への外洋横断80キロ、連続22時間のパドリングを共にし、沖縄でミーニシと呼ばれる北東風が、うねりを崩すような海を、宮古島から石垣島へ120キロを共に渡っている。昨年は、インドネシア、バリ島からモヨ島までの300キロを一緒に漕いでいる、気心のしれた尊敬する先輩である。
「あのさ、ツナミレンジャースって知ってる?一緒にキャンプして遊ばない?」
「う~ん、危険な香りがしますが、面白そうですね」
詳細もわからないまま、始まったのが今回の旅だった。

まずは、オークランドから飛行機で北へ1時間、20人乗れば満席になるような飛行機でベイオブアイランズに移動した。小さな空港で現地ガイドのMark Hutson(以後マーク)と合流する。背丈は180センチ。上半身の筋肉が大きく、あご髭を蓄えている。笑顔を絶やさない赤鬼といった風体のマークは、ハワイ育ち。アメリカンコミックに出てくる陽気な善玉怪獣のようだ。本物は、60歳でありながら現役バリバリのカヤッカーである。20年以上この地でガイドをしているカヤックの大先輩。その彼が、今回のトリップでテストを受けるという。ツナミレンジャース訓練生としての認定試験。誰よりもワクワクしているようで、嬉しそうに話している。家には、ツナミレンジャースのDVDがいくつか置いてあった。いわばファンでもあるのだ。マークにとっては、イチローに野球を教えてもらう野球少年のような気持ちなのだろう。「自分もこんな世界を経験してみたい」誰もが一つは持っている願望である。ときめいている人の顔は、周りにも影響する。英語が半分もわからない僕にも、喜びが伝染していた。

「はじめまして八幡暁です」
「君が、オーストラリアから日本へカヤックで渡ろうとしているクレイジーガイだね、会えるのを楽しみにしていたよ」
「僕も楽しみしていました。ツナミレンジャースには、遠く及びませんが、いつかクレイジーになりたいですね」
老年のトムクルーズ似の男がエリック。彼は、常に冗談が口からこぼれ、その場を楽しませる天才だ。その横でしっかり相手の目を見て話す静かな男がジムだった。この2人の付き合いは、すでに26年になるというのだ。その間、ずっと一緒にカヤック冒険を続けている事に驚いた。
「何故、こんなにも過激なカヤックトリップを始めたのですか?」
「簡単なことさ。大人になっても子供の時みたいに、思い切り遊びたいじゃないか。大人にならないと出来ないこともあるしね」
僕は、この人達のファンになってしまった。2人は、55歳を越えている。今なお、自分達が面白いと思うことに情熱を燃やしている。そんなシンプルな事が素晴らしい。僕には、そうした思いを形にする事が、難しく感じていた時期があった。

一生懸命、しがらみを振り払おうとしていた20代前半。「生活するって甘いものではないよ」「そんなことをしていても役に立たないよ」周囲の声を振り払おうとすればするほど、足元からついて来る影。もっと素直にスマートに出来れば良かったのだけど、随分、大げさに意地を張ってやってきたと思う。家族には何も伝えず、仕事にもつかず、彼女とは別れた。
「俺は、自分のやりたい、見たい海の世界があるんだ。その為に生きられれば、泥水をすするような仕事でもいいんだ。周りを見れば、欲しくなるものがあるかもしれないけど、充実した生き方は、そんな事ではない筈だ」
確信を持っている。ただ方法論はわからない。経験や実績は何もない。あの頃は、出口の見えない道でも楽しいぜ、と歩いていたのだ。

僕らは、車に荷物を詰め込み、Matauri Bayへ向かった。スタート地点の砂浜で、食料となるハマグリらしき貝を探す。波打ち際の砂を、足でどけてあげれば嘘のように貝が見つかるのだ。数の制限は一日一人100個まで。つまり、生活する上で食べたい分は、採っても良いよ。大量に採って、売りさばいてはいけません、という事だ。僕らは、一人20個ほど頂いた。調理は、海水で茹で上げるだけ。最高のつまみになる。味はまさにハマグリ。七輪で焼いて、醤油をたらしたい。現地の食べ物を頂くことが、旅の原点だと思っている僕には嬉しいスタートだった。

Motukawanui島まで5キロ。湾を出て漕ぎ渡れば、もう誰もいないような島を手に入れる事になる。しかし、ここはニュージーランド。そうした島にもハットと呼ばれる山小屋がある。8人は寝られる2段ベッドに、台所、トイレ、大きなテーブルが置いてあった。簡素だが、とても清潔な施設を格安で利用できる。ニュージーランドという国が、多くの人に自然を楽しんでもらう為に出した一つの答えだ。ここを拠点に3日間、カヤックを楽しむことになる。その夜は、南十字星を眺め、ニュージーランドの生フルーツが入ったカクテルとワインを飲みながら、眠りについた。

2日目。まずは、この島を1周してみようということになった。空は快晴。ハットがあるのは島の西側。こちらは内海だ。東側は南米大陸まで海が開けている。遮るものは何も無い。低気圧でも通れば、どこまでもうねりが走っていく。出発して岬を回るたびに、うねりが大きくなった。エリック、ジム、マークは、海岸線すれすれを舐めるように漕ぎ進む。どこかに、岩の隙間はないか、洞窟はないかと探しているのだ。右からのうねり、左からはうねりが島にぶつかった反射波。これを楽しんでいる。50代のオヤジさん達、皆、元気過ぎです。

「この辺りでスノーケリングでもしようか」
マークは、僕の為に手銛を用意してくれていた。この国の海は全くわからないし、どれがうまい魚かもわからないが、自分達が食べる分を獲る事は出来るだろう。いつものようにカヤックを漕いで沖に出た。そこからドボン。海中は日本に似ている。海草が揺らめき、岸壁にはサザエらしき物がゴロゴロしていた。ウニも多い。きっとアワビのような貝も沢山あるのだろう。泳いで10分、カンパチに似た魚体を一匹発見。静かに寄る。が、すぐに底へ消えてしまった。ちょっと潜っただけでも魚の影は多く見られる。まだ食べた事がない魚ばかりなのだから選ぶ必要もないか。自分の経験則から、美味しい魚の先入観をなくそう。とりあえず3種類、4匹を捕獲。大きさの規定もクリアしている。晩飯に刺身を食べてもらうには十分だ。

その晩、獲った魚を刺身にして皆に食べてもらった。生の魚は、それほど食べないかと思っていたら、よく食べてくれた。僕が食べてみても味は悪くなかった。ニュージーランドは、野菜、フルーツが豊富、そして魚介類も豊富。人が生きるのには、とても良い場所かもしれないと思った。

「サトルは、ツナミレンジャースのミーシャに似ている。」
「それならミドルネームをミーシャにしようかな」
エリックの言葉に、軽い気持ちで答えた。ジムがミーシャについて、ゆっくりと話し始める。
「彼はロシア人だった。アメリカにやってきた時は、はじめはカタコトの英語しか話せなかった。サトルよりは、出来ていたけどね。海の無い場所で育った彼は、すぐに海の虜になった。楽しそうにカヤックを漕いだ。素潜り、波乗り、なんでもやった。勇気に満ち溢れていた。怖い物知らずと言って良いくらいだ。そのうち、ツナミレンジャースの一員になり、大事な友達になった。しかし、2年前、ハワイでスキンダイビングをしていて亡くなってしまったんだ。一人で海に出ていたから、真相はわからない。僕らは本当に悲しかった。大切な友を失ってしまった。彼の為に、海で特別な葬儀をしたんだ。でも、ここでサトルに出会えた事に驚いているんだよ。彼とサトルは、背格好、雰囲気がとても良く似ている。年齢も近い。実は、君と出会ったときにエリックと話していたんだ。どこかミーシャに似ていると。今日、一緒に漕いで、波に突っ込んでいった君の姿、喜んでいる笑顔や勇気にミーシャを見た。ありがとう、サトル」
僕は、黙ってしまった。不思議な縁に引っ張られるように、ミーシャの事が、自分の事のように思えた。

3日目、天気は崩り坂。グレーの空に雨が混じる。マオリ語のニュージーランド北島の呼び名アオテアロア(白く長い雲のたなびく地)Land of Long White Cloud にぴったりの空模様である。今日は島の南部、岩礁エリアへ行ってみることが決まった。出発をして島影を抜けると3メートルのうねりが押し寄せていた。

盛り上がった海面は、岩にぶつかり、乗り越え、四方に流れ落ちていく。流れが複雑にぶつかり合い、違った流れを作っている。全てを引き込むような水引力。そしてまた、大きなうねりが押し寄せる。うねりの大きさは一定ではない。止まることもない。カヤックで通れる場所は、ほんの一筋だけ残されている。それだって、経験の長けた者にしかわからないようなセーフティーライン。パドル捌きを間違えば、船と体は岩に叩きつけられる。岩牡蠣の上を転がされた後、また次の波に持ち上げられて落とされることになるだろう。カヤック、人体の損傷を免れることは出来ない。ロックガーデン。その名の通り「岩の庭」。この庭には、白い花火が咲き乱れ、人を惹きつけ、人を翻弄する力に満ちている。イメージ…イメージが大切だ。へたに近寄れば怪我をする。

僕は、波の方向、流れ、反射する水の力の関係を見ていた。それを自分のパドリングの技術、パワーに照らしあわせていく。どの方向なら、波を抑えられるのか。どの体制が自分にとって一番弱いところなのか。フォワードストロークの強さ、スピードだけでなく、スイープ、ブレイス、ロール。。。さらにはそれぞれの技術を、どんな体制からでも使えることと、それぞれのパワーが求められる。全て出来れば最高だが、僕の能力は足りていない。今までやってきた長距離の旅とは違うことが必要だ。さてどうするか。今、必要な技術が現場で揃っていない。そうした状況の下、飛沫をあげるロックガーデンの中に2人の男が入っていった。

ロックガーデンの達人、エクストリームカヤッカーと呼ばれるツナミレンジャースの本領発揮。彼らの動きを見ていると、とても勉強になる。危険と見えるゾーンでも安全な場所で停止、始動していることがわかった。大きな波も、パワー負けしそうなポイントを外しているのだ。基本的なことだが、真っ白な波壁、海のうねりを前にすると冷静な動きが出来なくなる人が多い。その誤差、ミスが少ない。経験に裏づけられたものなのか。

ツナミレンジャースの映像を見れば、その派手さだけが強調される。一見、無謀にも見える行動。しかし、そうでない事が現場の動きを見てわかった。彼らの身体能力は、特殊ではない。僕らと同じだ。違うのは、自分と海の関係を的確につかんでいる事である。怪我をする可能性がある場所では、アメリカンフットボールのプロテクターを身に付ける。ヘルメット、フェイスガードが必要ならそれも用意する。ビデオを撮る人の位置、レスキューする場所、細かく段取りされているのだ。事前準備、パドリングの技術、現場に入る前にやっておく事は出来ている。共に海に出て、彼らのトレーニングの積み重ねを見た気がする。「ツナミレンジャースは一日にして成らず」であった。

誰も出来ないような大波を越えられる事が、彼らの素晴らしさなのか?僕は「自分の人生を心から楽しみながら、社会とどのように関わっていくか」ということを真剣に考えている事に凄みがあるように思えた。自分の楽しみ、苦しみ、挑戦、発見、驚き、失敗、そうした事が、誰かの助けになりますように、と願っているのだ。

若い人、迷える人への指針になる人生の達人。とりあえず楽な仕事で儲けたい、好きな事が見つかりません、好きな事をしたいのですが苦労はしたくありません、リスクを減らすにはどうしたら良いのでしょうか、人に凄い奴と言われたいのですがどうすれば良いでしょう。自由に生きたいのですが、どうしたらいいのでしょうか。人生が楽しくないのですが…そうした未成熟な悶々とした悩みへの光になる先輩である気がする。少なくとも僕は、この旅で沢山の光を浴びた。

後日、ジムとエリックに再び会った。
「サトル、これを君にあげよう」
Mishaと刺繍がしてあるツナミレンジャースのパーカーだった。普段であれば、いやこれは頂けない、というところだが、この時は心の底から嬉しかった。ミーシャという素晴らしいロシア人への敬意の気持ちが違和感無く入ってくる。思想の壁、言葉の壁、いろいろな壁にぶつかりながら、自分の信じる道を歩いてきたロシア人の心が、見知らぬ彼の心が、自分の小さな経験とリンクしているようだ。人の生き方という曖昧なものに、手触りを感じた気がした。
「ありがとう、エリック、ジム」
抱き合いながら、目頭が熱くなるのを感じた。


最後に、今回も一緒に遠征を協力してくれた皆様、応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。この場を借りて、お礼申し上げます。

八幡暁

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